関東絵画部の歴史

長崎義雄
                                                      

関東絵画部が発足したのは、昭和53年(1978年)の夏頃であったとおもう。定年退職後に趣味の一つも持たなけ
れば、と同志相集い、当時松下技研(株)を退職して東京電機大の教授をしておられた中野朝安氏が大調和会で活
躍しておられることが判り、ご指導を御願いして快諾を得る事が出来た。

 記念すべき最初の講習は、中野氏の元の職場である松下技研(株)の食堂で行われた。その後、会場は社員研修所
の教室に移ったが、長らく社研の教室を借用することとなり、現在は六郷、雑色の社員クラブの教室になっている。

 絵画部が発足して数年たった頃であろうか、中野朝安氏が懇意にしていた画廊が急に格安で借りられるとの話で、
展覧会を開こうということになり、自信のないもの同士であったが急遽第1回の松愛展の開催が決まった。会場は銀座
六丁目、松坂屋銀座店の裏にあたる詩季画廊であった。
朝安氏の提案で、第1回松愛展は総合美術展とすることになり、確か、陶芸、書道等の作品も展示されたと思う。時期は
昭和57年6月28日から7月3日の間で、当時松下の労組・高畠委員長や参議院議員であった故福間氏から祝電をい
ただいたこと、懐かしい思い出である。

 関東で一足先に絵画部が発足したり、展覧会が開かれたことが刺激になったのか、関西でも絵画部が発足し、展覧会
が開かれる様になり、その後各地方にも拡がったのだと思う。

 松愛展の第3回以降は油彩画の展覧会になり、会場はしばらく詩季画廊が続き、会員の増加に伴って、渋谷の画廊、
京橋の下村画廊と移ったが、下村画廊の閉鎖に伴って、現在の京橋・近代美術クラブに移って久しい。

 絵画部も発足当時は7名であったが、当時の会員でいまも残っているのは、小生と山崎正六氏の二名だけになった。
現在の会員数と比べて、感無量である。発足以来、絵画部発展の為に大尽力された中野朝安氏が無くなって久しいが、
その後は林猛氏を講師に迎え、メンバーも会員、会友含め三五名に達して、誠に喜ばしい限りである。今年は松愛展の
30回展を迎えたのに併せて、故中野朝安氏を偲ぶコーナーも設けて、意義深いものとなった。
                                                              (2006/11記)