2018年度社会見学会

“天満天神繁昌亭“
の落語会

『笑福亭喬介 第12回繁昌亭奨励賞受賞記念ウィーク』

2018年7月26日(木)

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<始めに>

 今年の社会見学会は、昨年実施して人気のあった“天満天神繁昌亭”での落語会です。今回も人気で80名の募集に対し90名もの参加をいただきました。
 連日の猛暑の中12時に京橋駅広場に集合後、12時7分京橋発の電車で「大阪天満宮」へ移動し、「天満天神繁昌亭」に到着。開場の12:30までは天満宮の参拝、 天神橋商店街の散策、木陰で暑さを凌いだりと各自それぞれの方法で時間を費やしました。
 一番太鼓が鳴り、いよいよ入場開始、13時の開演を待ちました。平日にも拘わらず216席の座席の殆どが埋まる程の人気でした。

神田三河町の大家・杢兵衛の甥っ子の与太郎。もう二十歳にもなるのに、働かないで遊んでばかりいるため、叔父さんは常にハラハラさせられている。 そこで何か商売を覚えさせようと、自分の副業をするように勧めた。叔父さんから売り物として「のこぎり」「短刀」「お雛さん」「パッチ」「電気スタンド」 「笛」などを持って出かけたがどうなるやら・・・

◇前座の修行用の噺とされていますが、小咄の寄せ集めでどこで切ってもよく、また、新しい人物(客)も登場させられるため寄席の高座の時間調整には重宝がられているそうです。


喬介さんとの関係や生活の一端を紹介、小噺(桃太郎・花咲か爺さん・鶴の恩返し)の後、両親の様子(寝かしている様子・孫への小遣いなど)や 自分の生活(ミルクの好み・オムツの件など)を、赤ちゃん目線で面白おかしく披露しました。


亭主が真夜中に、途中で人力車をひろい、ぐでんぐでんに酔っぱらって帰ってきた。かみさんに怒られながら亭主は家に入りました。 その後、夫婦の会話がおもしろおかしく始まりました。さてその結末は・・・。

◇原話は薬売りの受難のお話で、1812年江戸で刊行された笑話本「福三笑」中の小ばなしで「枇杷葉湯(びわようとう)」が原話。 「酔った亭主が枇杷葉湯(=暑気払いに効く甘い煎じ薬)売りに無理やり燗をつけさせるくだり」を現代風にアレンジした噺だそうです


最初の芸は、皿回し芸で、皿を回した状態でいろいろな道具を経由しても回し続け、最後は口にくわえて回し続けます。 2つ目の芸は、箱を両手に持ち、持っている箱の間に箱を増やしていき最後は9つまで続けました。さらに箱を並び替え、移動させると箱の模様が文字(寿)になりました。


おなじみの「時うどん(そば)」です。屋台の二八そば屋で支払う時に、時間を聞いて、うまく一文を得した場面に遭遇し、自分でも得しようとやってみますがうまくいくかどうか・・・

◇江戸時代の時刻は明け六ツから、およそ2時間ごとに五四九八七、六五四九八七とくり返します。冬の夜九ツ刻はおよそ子の刻、午前0時~2時。後の間抜け男が現れたのは四ツですから、 夜の10時~0時。あわてて2時間早く行ってしまった。


道具屋の甚兵衛は、女房と子供の三人暮らし、お人好しで気が小さく、商売はまるでダメな恐妻家。しっかり者のかみさんに、毎日尻をたたかれ通し。今日も市で汚い太鼓を買ってきてかみさんに小言を食っていた。 買ってきた太鼓を掃除のついでにたたいていると、つい大きな音になった。それを聞きつけた、赤井御門守(あかいごもんのかみ)の家臣に聞かれて大変なことに・・・

◇火焔太鼓とは、舞楽に使うもの。太鼓の周りが火焔の文様で施されている。一般に、面の直径は6尺3寸(約2m)という。まあ、庶民には縁のなさそうな代物だそうです。

-会場の大きな拍手で仲入りとなりましたー

「『笑福亭喬介第12回繁昌亭奨励賞』受賞記念ウィーク」ということで「記念口上」が始まりました。 「口上」とは、歌舞伎・落語などの興行物で、出演者または劇場の代表者が、観客に対して舞台から述べるあいさつのことで初舞台・襲名披露・追善興行などのときに行われる。 落語の場合は、「真打昇進」などで行われ、見れるのは珍しいことです。 舞台には、左から「林家花丸」「笑福亭松喬」(喬介の師匠)「笑福亭喬介」「桂梅団治」「笑福亭喬若」が勢ぞろい。花丸さんの司会で、喬介さんの日頃の修行話や日常生活について、 面白おかしく話され(喬介は、ずっとおじぎをしたままの姿勢)、大変楽しかったですし、喬介さんのことも少しわかりました。


※演目の写真撮影は禁止でしたが、口上については写真撮影が許可されました。


今日は浄瑠璃の会の日で旦那はそわそわ、嬉しくて落ち着かない。三味線のお師匠さん、料理、酒、お菓子すべて準備万端だ。そこへ町内を回っていた久七が帰ってくるが、 いろいろな言い訳をして誰も来なかった。さてどうなることやら・・・

◇上方落語「素人浄瑠璃」を、三代目蝶花楼馬楽が明治中期に東京に移したとされ、演じる側に義太夫の素養がないとこなしきれないため、大看板でも口演できるものは限られていたそうです。 「義太夫」とは、義太夫節の略で、浄瑠璃の一流派。もともとは、現在の文楽につながる人形浄瑠璃の音楽やせりふ、ナレーション、効果音などとして生まれた。 人形浄瑠璃では、近松門左衛門らによって名作が生まれ、それが歌舞伎にもとり入れられたそうです。


お話は、平家物語冒頭「祗園精舎の鐘の声・・・」⇒「平清盛と常盤御前」⇒「袈裟御前と文覚」⇒「平家追討令下る」⇒「義仲入京」⇒「義経頼朝黄瀬川対面」⇒「義仲討ち死に」⇒「扇の的」 ⇒「壇ノ浦の戦い」と続きますが、「平家追討令下る」と「義仲入京」を中心にたまの軽快な口調で語られました。

◇元々は「源平盛衰記」といえば7代目林家正蔵の十八番であり、これを東宝名人会で聞き覚えていた息子の初代三平が後輩の柳家小ゑん(後の談志)に伝授した。 これにより、「源平」は多くの落語家に演じられるようになった。談志のものは初代三平から教わった「源平」に吉川英治の「新・平家物語」のエッセンスを加えたものだそうです。


小田原宿に現れた若い男。風体はというと、黒羽二重は日に焼けて赤羽二重。紋付も紋の白いところが真っ黒。袖を引いたのが、夫婦二人だけの小さな旅籠の主人。 男は「泊まってやる。」と言い、泊めてみると七日の間、一日中大酒を食らって寝ているだけ。こうなるとそろそろ心配になり、危ないから、ここらで内金を入れてほしいと催促した。 すると金はないと言う。さてどうなることか・・・

◇この噺の出所ははっきりしませんが、ネタ元として言われているのが京都・知恩院七不思議の一で、「襖絵から朝、雀が抜け出し、餌をついばむ」という伝説だそうです。



<終わりに>
間近で落語家の仕草・表情・汗・間合い・地声の響きなどをはっきり感じ取れました。さらに、今回は笑福亭喬介の繁盛亭奨励賞記念ための口上があり、師匠と弟子が一緒になり、芸の道を求める雰囲気を味わえました。
今回の落語会は募集を上回る多くの会員の皆様にご参加を頂き、ありがとうございました。今後も「健康づくり活動 2018」などの支部行事が予定されています。参加・ご協力をよろしくお願いします。

【繁昌亭大賞と各賞】
繁昌亭のスターを作っていくという目的の為に、繁昌亭が出来て1年目に始められた賞である。入門25年以下の中堅・若手を対象に、有識者の投票によって決められる。 選考委員はマスコミ関係者、地元商店街関係者や大阪天満宮関係者など全24名で、協会や落語家の人間は一切関与していない。 「繁昌亭大賞」には賞金10万円とトロフィーが、「繁昌亭奨励賞」には賞金5万円と楯が送られる。真打制度がない上方落語界であるが、大賞・奨励賞の受賞者はトリを、 できるようになる。また記念の落語会も開催されている。

【繁昌亭大賞】年間を通じさまざまなネタに磨きをかけてクオリティの高い落語を披露し、定席としての繁昌亭の名前を各界各層に広く知らしめた入門25年以下の落語家

【繁昌亭奨励賞】年間を通じ熱心な高座を努めて集客動員に貢献し、大賞受賞者に次ぐ功績が認められる入門25年以下の落語家

◇過去の「繁昌亭大賞と各賞」の受賞者は「繁昌亭大賞と各賞」の受賞者をご覧下さい。

◇上方落語系図は「上方落語家 系図」をご覧下さい。

写真:吉川、永井、中溝、松島HP作成:松島


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