会員さん登場【掛江さん】

「テニス人生50年の軌跡」
1班 掛江 重男 (2019年8月)

妻とミックスダブルス優勝

 テニス(硬式テニス)を始めるキッカケは、私が中学生時TVでウィンブルドンの試合を初めて見て魅了されたことです。当時地域で硬式テニスをやっている高校は進学校しかなく必死で受験勉強した記憶があります。その結果15歳より私のテニス人生が始まり現在に至っています。

 学生時代はテニスにのめり込みテニス三昧の日々でした。社会人となって趣味程度でテニスを楽しむ予定でしたが、配属事業場に当時のパナソニック関西地区テニス責任者がおられ、その後継として32歳まで社内大会運営、パナソニック責任者として社外大会に携わってきました。その時期は楽しくテニスをした記憶はあまりないのですが、唯一楽しくテニスをした試合を紹介します。

 当時寝屋川在住でしたが寝屋川市民大会に参加したことがなく、独身最後の試合として申し込みました。北大阪大会(市民大会より上位の大会)や守口市、枚方市他で上位の成績を取っていたので、当然最上位のAクラス参加のつもりでしたが、Bクラスでしかも2回戦でシード選手対戦(いわゆる実績なし選手の位置)へトーナメント配置されていました。

 大会当日そのシード選手との対戦で、相手には数名の女性の応援がおり意気揚々とコートに登場してきたので、いたずら心が芽生え、いつもなら全力でパワーテニスをするところ、「何となく」勝つテニスを展開、①相手の強いサーブを緩くとれないコースへ返す。 ②相手にチャンスボールを与え強打を打たせその返球でエースをとる。 ③相手が自信喪失したところで本来のテニス(相手への温情)をする。この作戦で決勝まで進出、決勝は相手も私と同様の立場の人(他県で実績のある転勤者・次年度Aクラス優勝者)で、本来のテニスで優勝、テニス人生で最も記憶の残る楽しい大会でした。

 その後、30歳で膝を痛めシングルス引退、38歳で膝・肩を痛め第一線からは引退し、本格再開は定年後となります。
 定年後は楽しむテニスに徹し、ミックスダフルスで妻へは優勝をプレゼント、若手をいじめることを楽しんでいます。現在は、松愛会テニス部関西、枚方北支部同好会でテニスを楽しみ、年数回対外試合参加でレベル維持を図っています。

以上

その他の情報も ここから ご覧いただけます。
HP作成:石川

コメント

    • 掛江 実
    • 2020年 11月 12日

    姓の「掛江」をネットで調べてたら、同郷の掛江重男さんのご活躍の記事に巡りあいました。

    40年近く前に、学生時代を過ごした神戸勤務中に、重男さんのお兄さんに遭遇したことがあります。

    私は1歳年上で、1981年より横浜で暮らしていますが、覚えておられるか。

    懐かしくなりメールしました。

    中継ぎして頂ければ幸いです。

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