昭和まで続いた雨乞いの祈り

昭和まで続いた雨乞いの祈り
雨乞いが結んだ、三之宮神社と津田・春日神社 ―

 昔話の内容は、市発行の記念誌や刊行物(注:文末に参考資料を記載)を参考に、少しの内容を加味して作成致しました。今回は「三之宮の巨石(尾形石)と雨乞いの祈り」という話を紹介します。これは民話と言うより、時代の伝承かもしれません。枚方市・穂谷の静かな山あいに鎮座する三之宮神社。拝殿を右へ進むと、枯れ葉に半ば埋もれた切妻形の二つの巨大な石が姿を現しますす。これが「尾形石」です。古くからこの石は、神が降り立つ磐座(いわくら)として崇められ、周辺の村の人々は朝夕ここに祈りを捧げてきました。家族の安寧、食物の恵み、村の安全等、すべての願いがこの石に託されました。三之宮神社の過去の取材記事は、 ここからご覧頂けます。

雨を呼ぶ石としての信仰 
 ある年、長い日照りが続き、田畑はひび割れ、村人たちは飢えの不安に震えました。 村の長は「雨乞いの神」として知られる三之宮神社へ祈願することを決め、尾形石の前で三日三晩祈り続けました。やがて空がかき曇り、激しい雨が降り出し、村人たちは救われ、尾形石は「雨を呼ぶ石」としてさらに信仰を集めるようになったのです。
 この雨乞いの伝統は三之宮神社の氏子圏に広がり、津田の村人たちも干ばつのたびにここへお参りしました。
写真はクリックで拡大できます。

もう一つの雨乞いの石  
 拝殿の左側に、しめ縄を巻いた高さ1メートルほどの立石があります。今は寂しげに見えますが これは雨乞いの際に願いを込めて、神社の傍を流れる穂谷川へ沈める石で、

雨が降れば喜びとともに引き上げ、感謝の踊りを奉納しました。
 近くは昭和14年5~6月頃の干ばつでは、津田を含む周辺の村々が深刻な水不足に陥り、 「雨タンモオジャイノ、杓に米一斗モショウ」と、唱えながら本殿を巡る祈願が行われました。 その後、村長を先頭に行列を組み、三之宮神社へ参拝して降雨を祈った記録が残っております。

津田春日神社とのつながり 
 こうした信仰の広がりの中で、津田の地にも三之宮神社から御祭神を勧請し、 津田春日神社が創建されました。 春日四神(藤原氏の祖神)を祀るこの神社は、三之宮神社の“内宮(境外末社)”として津田の人々の信仰の中心となりました。
 干ばつの年に雨乞いが成就すると、津田の村人たちは深い感謝を示すため、 春日神社の鳥居前に雨乞い成就の記念碑「昭和十四年祈雨御禮」を建立しました。 これは、三之宮神社の巨石に祈り、雨が津田の田畑を救った証として、今も静かに佇んでいますが、雨乞いの祈りが昭和初期まで行われていた事実に驚きます。

■ 結び 
 昔は、日照り続きで水が乏しくなると、いつもは仲良く暮らしていた農民達も、水を巡っての争い事が絶えませんでした。しかし争う水さえ無くなり、水を得る手だてがなくなった時、近隣の複数の村が、合同で三之宮神社に雨乞いをしたといわれています。
 三之宮神社の巨石・尾形石は、自然を神の依り代(よりしろ・・神霊がが寄りつく対象物)として祀った古代の信仰を今に伝える存在でもあります。 そしてその信仰は津田春日神社へも受け継がれ、 記念碑として形を残しながら、地域の歴史と人々の祈りを語り続けています。巨石、川、森、そして祈り。 この土地に生きた人々の願いは、今も静かに息づいています。
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以上
過去の「枚方の昔ばなし」の記事は、ここから ご覧いただけます。
参考資料:「ひらかた昔ばなし」枚方市伝承文化保存懇話会冊子 発行・・枚方市
イラストはAI(copilot & Gemini)とやり取りしながら作成しました。拡大して順送りできます。
写真は全て2026年4月に撮影した物です。

【HP作成:坂本 徳行】

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