Enjoy Shoai 原 求さん

はら もとむ

2021.1.1

茄子作在住 11班

くらわん会の益々の発展を祈念します!

◇ 阪神・淡路大震災の時は帰阪に苦労しました

私の出身地は、兵庫県淡路島です。地域には「リンボ会」というご近所付き合いの会が有って、毎月1日と15日に淡路島に帰っていました。その為、1995年(平成7年)1月17日に発生した阪神・淡路大震災の時は実家に帰っており、帰阪するのが大変でした。

◇ 松愛会との関わり

松愛会は枚方南支部会員182名で6班体制の時代に1990年から6年間地区委員(現:支部役員)を担当しました。現役時代の主な職場はモータ事業部・生産技術本部で資材購買の仕事を担当しました。組織をまとめる為には、組合の仕事をした方が良いと上司に奨められ、組合執行役員も経験しました。

◇ くらわん会の立ち上げ

近畿部会で歩こう会や写そう会を立ち上げました。近畿部会から各支部に別れて活動することになり、その時にくらわん会を立ち上げ、1996年6月7日に産声を上げました。その時の様子は、家内が同年11月に発刊した「身辺雑記」独りごとに掲載しています。くらわん会の立ち上げでは、組織運営(名称や規約作り、名札デザイン・シンボルマーク作り、傷害保険、アマチュア無線体制づくり)や開催日の設定で、近隣事業場の行事の情報を調べ、翌年から毎月第一火曜日に決めました。また傘による事故を防ぐために雨の日以外は傘使用禁止のルールも作りました。毎月130名前後の会員さんが参加(過去最大160名)され、これらの組織運営ルールが今も継続され、まもなく300回を迎える事は嬉しい限りです。

◇ 支部役員の方々と亡き妻に感謝

現役の資材部時代は、海外の資材調達人材の研修生16名(タイ・シンガポール・ベトナム)を我が家に招き、家内に苦労をかけた思い出があります。家内を5年前に亡くしました。家内にはくらわん会の立ち上げから、世話役を中心の飲み会(後に家内がガラクタ会と命名)など、協力してもらい感謝しています。2020年度から私の所属班が11班に変更になりましたが、12班当時からお世話頂いている歴代支部役員の皆さんが気に掛けてくださるので助けられています。支部役員の方々と家内には感謝に堪えません。これらの協力に感謝して、人生100年時代を楽しく過ごしていきたいと思います。

◇ カラオケ同好会は最初から参加

カラオケ同好会には、2011年4月の発足当初から参加しています。15時までに帰宅しなければならない為、世話役の配慮で早めに唄わせてくれていて感謝しています。声を出すことは健康の為にも、またボケ防止にもなり続けて行きたいが、最近は脚の具合が悪く同好会は残念ながら参加できていません。デイサービスにお世話になっているが、お風呂に入るのが主な目的で、支配人からカラオケの要請を受け何曲か楽しく唄わせてもらっています。昔から声には自信があり、「良く通る声で60歳代の声」と褒められています。

◇ 原因を追求する

あるべき姿は何か原因を追求する「原 求」の名前は付けてくれた父にも感謝しています。

◆ Enjoy Shoai担当より一言

2009年10月には夢中人にもご登場いただきました。松愛会最大の同好会に発展しています、「くらわん会」の立ち上げと初代会長を務められました。また卒寿のお祝いに多くの世話役をご招待いただき、盛大にお祝いできたことを嬉しく思います。そして卒寿後も毎年の新春懇親会や年次支部総会にお元気に参加され、周りの会員さんに元気と笑顔を届けていただき、「我々も後に続こう!」との思いを抱かせていただいています。またカラオケ同好会の例会においては、マイクが要らないくらいの唄声で、60代のお声ではないかといつも感心させられます。

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