Enjoy Shoai 冨田 朝己 さん

とみた ともみ

2021.5.1

香里ケ丘在住 13班

人生100年時代に生きて「松下電器・労働運動・地域活動」!

◇ 出身は大阪市

1939年、第2次世界戦争開戦の年に、大阪市東淀川区西中島南方に生まれました。その後、西区西堀江で幼少期を過ごし、1943年島根県黒松村に疎開、黒松村国民学校に入学。
戦後、焼野原の大阪市には住めずに八尾市植松町で小・中学校を卒業。1984年から、枚方市に在住しています。

◇松下電器が人生道場

松下電器に入社して45年間を勤務。社会人としての生き方とともに18年間の労働組合専従役員としての活動を通じて労使関係についてや経営方針など松下幸之助創業者に薫陶を受けた。1954年に第1事業部研究課(無線研の前身)に入社。その後開発商品とともに電子部品セラミック事業、電子部品営業などを担当。
専従役員時代は本部中央執行委員・書記長など担当し、松下電器が文字通り、私の人間成長の人生道場だった。

◇松愛会の発展に関わる

1999年2月松愛会入会、くらわん会、支部総会、新春懇親会、支部レクなどに参加し、2001年5月地区委員に就任した。
くらわん会に毎月参加する中で原会長宅を訪問、くらわん会運営の電子化の支援、自前のサーバーでHPの試験運用をして月例会のホームページ作成による紹介と支援を始め、正式に枚方南支部のホームページ開設(2001年10月)、本部ホームページ委員に就任後、枚方南北支部合同ホームページ開設(2002年10月)。会員アンケートなどを実施して、ようやく普及し始めたパソコンを通じて松愛会活動の楽しさと、わが町枚方を広く紹介して卒業後の仲間づくりと活動の楽しさを広く紹介し、新しい同好会の普及を目指した。

この間の5年間が最も松愛会をエンジョイして楽しい仲間づくりのときだった。しかし、多くの災害や地域課題が山積する中でもっと身近な仲間づくりが急務になり、松愛会活動は空いている時間だけになってしまった。その後も、くらわん会や2年前から参加したカラオケ同好会などで心ゆくまでエンジョイしている。

◇職域の仲間から地域の絆づくりへ

いざというときは「自助・共助・公助」で命を守る。公助が届くまでの共助が大切。卒業後すぐに自治会会長に就任、その後、自主防災会を創設し「いざというときの助け合い組織づくり」を通じて香陽校区コミュニティ組織づくりに取り組み、コミュニティ会長・副会長・顧問(21年間)、福祉員会会長・副会長・相談役(21年間)、民生児童委員(15年間)などを歴任、現在も継続中の役職や課題が続いている。

「私が生まれた頃は人生60年時代、今は医学の進歩で人生100年時代に入った残された人生を精一杯生きたい」

◆ Enjoy Shoai担当より一言

2000年に松愛会本部ホームページが開設され、翌2001年に枚方南支部ホームページが開設されたが、これ等の草創期にご尽力いただいた。当時は冨田塾をご自宅で開催され、ホームページ委員の育成にも努められた。その時の委員の方は「ご自宅なので、奥様にも大変お世話になった」と言われています。

また枚方南支部8班体制の2001年から4年間4班の支部役員を担当された。枚方南北のホームページ作成の基盤づくりや人材育成に大きく貢献いただきました。参加されるくらわん会ではホームページ担当を継続され、カラオケ同好会では素晴らしい低音を活かして、懐メロを中心に歌われています。いつまでもお元気に活動いただきたいと思います。

「我々松愛会会員はいろんな行事があって出かけられるが、地域のお年寄りをおうちから出てもらえる取り組みを考えないといけない」とよく言われています。地域を大切する思いは尊敬します。パソコンのスキルも高く、地域発展の思いも人一倍でこれからも大所高所からのご指導をお願いしたいと思います。

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