毎年、思い出す「阪神・淡路大震災」の取り組み【自由投稿】

 

3班 櫻田 仁  2022.01.17

 27年前、1月17日午前5時46分 薄暗闇の中で阪神・淡路大震災の大きな揺れで飛び起き、妻と素早くマンション4階の窓を開けたのを覚えています。
経験をしたことがない揺れでしたが、自宅での被害は殆んど有りませんでした。
 京阪電車は不通になり、歩いて10時頃に漸く会社(オーディオ事業部)に到着することができました。

 当時、上司のオーディオ(事)樋野事業担当(10班会員)の指示で、神戸近隣居住の「従業員(46名)」の安否確認を間接部門が対応、加えて救援物資等の買い出しに、特に飲料水はコンビニ・スーパーで殆ど売り切れ状態でしたが、お世話になっている飲食店で入手することができました(感謝・・・感謝)。
 安否確認が進むにつれ被害の甚大さに驚きと不安が錯誤、「従業員・家族」には怪我等はなく安堵したことを鮮明に覚えています。また古い建屋の工場は、天井むき出しの配管が外れ実装機(24H稼働)が全て水浸しの状況でした。

 翌早朝より、事業部バイク同好会のメンバーが救援物資を持って被災した従業員の自宅に向かうため、前日揃えた物資(オムツ・離乳食・インスタント/レトルト食品・パン・ティシュ/トイレットペーパー・飲料水)に加え、現金支給を準備して神戸に向けて出発しました。家屋等の大きな被害はあるものも全員無事を確認し、最後のメンバーが帰社したのは深夜1時を回っていました。

 同じく、政府より災害物資の調達要請が本社にありオーディオ(事)はラジオ1万台、しかし摂津の松下物流の倉庫も大きな荷崩れで散乱状態でしたが、事業部に引き上げ外装・動作チェックをしてトラックに積み込みました。政府調達はパトカー先導で八尾の飛行場へ、そして自衛隊ヘリコプターで西神グランドに輸送されました。

 

 「災害は忘れたころにやって来る」と言われています。その後毎年のようにM6以上の地震・台風・異常気象が発生、中でも2011年3月「東日本大震災」は津波と原発メルトダウン等 未曽有の災害に見舞われました。2016年4月には「熊本地震」、そして記憶にも新しい2018年6月「大阪北部地震」会員様宅に大きな被害が発生しました。

 当時、支部役員とともに、まず「地の利を活かした安否確認(特に高齢者・一人暮らしの会員様より)」次に「罹災証明手続き」「被害写真撮影」「松愛会お見舞お届け」。枚方南支部長として「阪神・淡路大震災」で得られた教訓(迅速な対応が如何に大切か)を活かすことができ、会員みな様から大変喜ばれ “絆づくり” に貢献することができたと思います。

 

 

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