第278回くらわん会 2019年 7月例会

歴史の宝庫、高槻の城跡周辺を訪ねる

278回 くらわん会例会 2019年7月2日(火)

〈行程〉阪急京都線・高槻市駅 ⇒ 駅西側高架下(朝会) ⇒ 安満遺跡公園(休憩)
 ⇒ 八丁松原(散策)⇒ 高槻の寺町(散策)⇒ しろあと歴史館(見学)
 ⇒ 高槻城跡公園(昼食)⇒ かわんちょ水路 ⇒ 阪急京都線・高槻市
〈距離〉約5km  〈参加者〉 85名

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◆集合場所(阪急京都線 高槻市駅 西側高架下)

 6月末に梅雨に入り今日も朝から雨が降り、中止になるのではないかと心配しました。しかし朝家を出る時には雨も上り、途中で降って来るのではないかと心配しながら集合場所に集まりました。
 朝会が始まり山内会長の話では、今日の参加者は85名で自身の予想より10名以上多かったと喜んでおられました。挨拶に続き、回数表彰で30回参加の大友さんの回数表彰がありました。

他に3名の方が呼ばれましたが、今回不参加で次回持越しとなりました。
 続いて葛城リーダよりコース説明があり、天気の状況で、コースを省略する場合もあるとの説明があり、今日は距離より歴史を探索することに主眼を置いた 「くらわん会」との説明がありました。また永井リーダから来月の「たそがれウオーク」の集合場所の説明もありました。

◆安満遺跡公園(あまいせきこうえん)

最初の目的地「安満遺跡公園」へは、約10分程度で到着しました。そもそも安満遺跡の歴史は古く昔の京都帝国大学の農学部農場建設の際に土器・石器が 出土した1928年に由来していて、現在は高槻市が京都大学大学院農学研究科の附属農場の移転にともない、その跡地一帯を整備し、弥生時代の安満遺跡を保存・活用するとともに、防災機能を備えた、緑豊かな公園全面積21万8千平米の「安満遺跡公園」として2013年に基本構想を策定し、2021年全面開園を目指し2019年3月一次開園し、その防災設備は、完成時には①耐震性貯水槽 ②非常用トイレ ③ソーラ照明 ④臨時ヘリポート ⑤雨水貯留施設(25mプール55杯分)

5つの機能を備えるという。また公園として芝生広場や屋根付広場、人工芝、公園事務センター(ボーネルンドが経営)、子供の遊び場、駐車場など充実した広大な施設である。今回「くらわん会」として訪問し、約20分見学し勉強させて頂き、休憩をとらせて頂きました。 【ここの公園事務を経営しているボーネルンド(BorneLund)は日本の玩具会社で、デンマーク語の「Borne=子ども」と「Lund=森」に由来するそうで、「あそぶことは生きること」を キャッチフレーズにしている会社である】との勉強をしました。

◆八丁松原⇒高槻の寺町(散策)

 安満遺跡公園からは、昔の街道で有名な八丁松原【高槻の城下町に入る六口のひとつで、京口と呼ばれた高槻城から西国街道まで続いた松の並木道。慶安2年(1649年)に、 高槻城主・永井直清によって整備され、現在の八丁畷町・松原町に名残をとどめる】の松が整備された道を南に向い、国道171号線に出てる。

次に国道170号線に沿って そのまま国道を南へ進み、大阪医科大さわらぎキャンパス前で西に国道を横断し高槻の寺町を散策し、途中本行寺前を通りそこで右に曲がり、次の辻を左折し高槻カトリック教会 の前を通って右に野見神社の見える所で左折し「しろあと歴史館」に到着しました。

◆しろあと歴史館(見学)

 「しろあと歴史館」には、高山右近と高槻城跡に関係する歴史の資料が展示されていました。高槻城は1874年(明治時代)に廃城となったようです。 高槻の歴史としては、続日本100名城で有名な芥川山城跡ですが、芥川山城は大阪府の名勝耶馬溪のある摂津峡の近くの三好山に築城されていました。また芥川山城は、1520年頃に細川高国が築城し、その後三好一族が入城し、1560年頃に和田惟政(これまさ)が支配し相談役が高山家でその縁で入城したようです。しかし高槻城はいつ頃築城されたのか不明である。室町幕府(1568年頃)の時代になり和田惟政(これまさ)が

高槻城に移転したとあるので、1560年頃ではないかと推察出来るが、以後、政治の拠点はしだいに高槻城へと移って行き、高槻城の発展とともに芥川山城は歴史の表舞台から姿を消していったようです。  高山右近は、キリシタン大名として有名で高槻市にも教会が幾つか残っています、また右近は先進的な築城法の知識で金沢城修築に貢献したとされていて更に人徳の人 として多くの大名が影響を受けたとも記されています。高槻市として銅像を建てる理由が理解できた気がしました。

◆城跡公園(昼食・休憩)⇒ かわんちょ水路

 しろあと歴史館のすぐ南側に位置する城跡公園に移動し、昼食に入ったのは、ほぼ12時でした。全く雨も降らずに昼食を済ませ12時50分頃まで休憩し出発。阪急高槻市駅への帰り道に「かわんちょ水路」と呼ばれる水路を見学しました。この水路の経緯などの説明書きが消えていたので、がっかりしながら阪急高槻市駅に 向い解散しました。NETで調べると「かわんちょ水路」は

次の言葉が見つかりました。昔を思い出させます。 【家の前に流れる水路は「かわんちょ水路」手入れが行き届いた水路には綺麗な水がせせらぎ、町の風景に静かに溶け込んでいます。 また、階段状になっていることから、昔はここで遊ぶ子どもの姿や、井戸端会議をする主婦たちの憩いの場だったのではないでしょうか。】

写真:安藤、梅原、大熊、吉川、徳田、永井、中溝、松島(50音順) HP作成:大熊

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