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【会員だより】仏を迎える(藤井 裕三さん)

※編集者記:この投稿は各ご家庭にお配りしている「支部便り」1月・2月号に掲載されています。


 35年間仏像を彫り続け多くの作品を創りあげた。プロの仏師が褒めそやした作品が有る反面自嘲する作品など多種多様である。

大仏師「松久明琳」

 仏像彫刻を始めた動機について記します。大仏師松久朋琳は宇治市に住まいされていて私も以前は同市に居を構えていた。市が発行する冊子に朋琳さんのエッセイが投稿されていて興味深く読ませて貰い冊子でなく御本人の口から話を伺いたく伺わせてもらった。其の日は彫刻教室を開いていて20人程の生徒が黙々と彫刻に勤しみつつ朋琳師の話を拝聴していた。師は途切れ途切れ乍ら3時間程話された。当日は「輪廻転生」について、嚙み砕き面白可笑しく話され興味深く拝聴した。「輪廻転生」は遠くはバラモン教を祖とし仏教界にも伝播した高邁な思想でありチョットやソットでは理解出来ない思想だ。その後も話を聞きたかった。其の為に教室の一員に加わらせて頂いたのが仏像彫刻を始めた切っ掛けである。仏心が厚く具現化するため仏像彫刻を始めたのではない。

 作った作品の中で最も出来栄えが良かったのは、二人の飛天が空中を舞泳ぐ姿の作品だ。かって敦煌の莫高窟で壁画を見た瞬間大きな感動を受けた。当夜は満月であったので鳴砂山へ観月に出掛けた。朧月夜であった。砂上に腰を下ろし月を楽しんでいた時、脳裏に昼間見た二人の飛天が中空を舞泳ぐ姿が浮かんだ。帰国後この飛天を彫刻しようと決め早速取り掛かった。苦心した甲斐あって出来栄えはプロの仏師が褒めそやす作品が完成した。

天空を泳ぎ舞う「双飛天」

 

 日夜楽しませてくれている作品に、色々な姿態の「雲中供養菩薩」群がある。宇治市に居た頃には平等院へ散策によく出掛けた。鳳凰堂には丈六の阿弥陀如来が中央に座し、如来の周りの中空を雲中供養菩薩達が舞踊り・笛を吹き・太鼓を叩く等如来来迎を喜ぶ姿の彫刻群がある。これ等の菩薩達を彫りたくなり写真を基に始めた。今では16体出来ベッドの周りの壁を賑わしている。就寝時には「今日も良い日だったね」と優しく踊り静かな音曲を奏でてくれ安らかな眠りに誘ってくれ、朝には「今日も元気に生きよう」と賑やかな踊り・音曲で目覚めさせてくれている。有難い菩薩達だ。

ベッド周りの壁面に取り付けた「雲中供養菩薩」群

 

 90歳を過ぎてからは体力・視力・根気の衰えが著しく、作品に如実に現れてきた。だが朋琳師が云われた「仏像は見栄えじゃない。心が籠っておれば良い」の言葉に沿って折に触れて製作に勤しみ楽しむことにしている。

ホームの文化祭での筆者と作品群

 

(記:神戸市垂水区 藤井 裕三)

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