No.4 大塩の乱と茨田家

地元の話 No.4

 天保8年(1837年)2月19日午前、大坂町奉行所も元与力、大塩平八郎は、自らの門弟300人余りと共に、私財や命をかけて飢餓に苦しむ庶民を助け、幕府政治の刷新を求めて立 ち上がった。
門真三番村(現堂山町)の豪農茨田家当主の郡士は、門弟として守口の白井孝右衛門ら、北河内の有力農民たちと決起に参画。
大塩勢が総崩れとなった後、郡士は暫時大塩と行動を共にするが2月22日に自首、大坂奉行所の取調べは非常に厳しく獄死 した。
明治維新の30年前のことであった。
昔、門真神社前の街道を北上すると、まもなく集落がとぎれ田園が広がり前方左に道路から出島のように木々に覆われた広大な茨田家の屋敷があった.その直系である老婦人、茨田ひろさんはひっそりと暮らしておられましたが昭和44年1月茨田 家最後の人として当地に没し茨田家は廃絶した。
今、屋敷跡は、住宅に囲まれ毎年夏になると盆おどりが開かれている小さな公園となっている。

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