No.9 茨田堤(まんだのつつみ)と堤根(つつみね)神社そして樟(宮野町)

地元の話 No.9

 門真市宮野町の「堤根神社」本殿の裏面に史跡「茨田の堤」があります。
昭和48年に大阪府の史跡に指定された「茨田堤」は、古事記や日本書紀に記述がみられる記録に残る最古の堤防と言われています。
日本書紀の説話によると、仁徳天皇の時代(5世紀)に淀川の洪水を防ぐため治水工事が行われ、 当時の最先端技術であった渡来人の土木技術を用い、難工事のすえ、堤防を完成したそうです。
堤防跡から古墳時代(5世紀後半)の須恵器が出土していることから、この堤防跡こそ現在唯一地上に残る 「茨田堤」の遺構と推定され、堤の神社を挟んで東西542.97mが大阪府の史跡に指定されています。
この堤の完成後、田地は一挙に広がり、5世紀後半に集落が形成され、「元町遺構」6世紀には河内の低地で 「最大級の円墳」や「普賢寺古墳」が築造されるなど、大きな発展を見ることができます。
「堤根神社」は、茨田堤の鎮守として創建されました。祭神は、菅原道真です。
茨田堤築造に関係の深い茨田氏が、堤の鎮守として建設したものと伝えられています。
鳥居前には河内と大和を繋ぐ行基道が通じており、古くから信仰を集めました。
寛永期(江戸初期) には、この地の領主永井尚政が崇敬していた菅公を合祀(ごうし)、以降は「天満宮」と称していました。
明治5年(1872年)に村社に列格しました。
社殿近くの茨田堤の一部に,樹齢500年以上の 樟 が生えています。

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