No.10 文禄堤

地元の話 No.10

 豊臣秀吉が、文禄5年(1596)に築いた文禄堤、それは淀川の氾濫を防ぐとともに大阪 と京都を結ぶ最短道路でした。
現在は京阪守口市駅近くの約700mほどがその姿をとどめています。
天下を手中に収めた 豊臣秀吉は文禄3年(1594)に難攻不落の大阪城を完成させたのに続いて、伏見城の築城 を計画します。
それまでの京都-大阪間は主に淀川を行く水運が中心で、陸路なら八幡から山
崎を通る東高野街道か、八幡から樟葉、枚方を通って飯盛山の麓に出るかいずれも大阪と伏見 を結ぶには、かなりの迂回路でした。
それで、この2つの城下町を直結する目的で淀川沿いに 堤防を築き、上部を道路としたのです。

実際には、毛利輝元や小早川隆景らが担当したこの一 大プロジェクト完成した道路は、京街道と呼ばれ周辺の町々に大きな発展をもたらしま した。
守口宿には、大名の泊まる本陣をはじめ人足や馬が備えられ、文禄堤の両側は、旅 籠や商店が軒を連ね大変な賑わいだったようです。

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