No.12 門真出身の総理大臣 幣原喜重郎(しではらきじゅうろう) (下)

地元の話 No.12

 幣原は1872年(明治5年)当時の門真村に豪農の次男として生まれました。
父、新次郎は養子の身にもか かわらず田地を売り払ってでも学費にと決めていました。
当然、親類から非難もされましたがその教育の甲斐があり、兄の坦(たいら)は文学博士、台北帝大総長を務め長女の操は、保育園を設立するなど社会事業に貢献しました。
次女の節は、府下最初の女医(産婦人科)として活躍しました。
昭和20年、73歳になっていた幣原に 総理大臣を打診され固辞していましたが、天皇の大命降下により、第44代内閣総理大臣に就任しました。
「天皇の人間宣言」草稿を起案したことでも知られて います。
昭和21年初めに風邪をこじらせ、肺炎を併 発。
この時マッカ-サ-元帥が、国内では入手困難なペ ニシリンを取り寄せ、幣原の治癒に努めました。
回復した幣原はそのお礼にマッカ-サ-を訪問。
この時 の懇談が憲法の戦争放棄発案説になったといわれています。
歴史に「もし(if)何々であったら」とよくいわれ ますが、彼と志を同じくするような人物が輩出しておれば、その後の歴史は違ったものになったかも・・・。
この偉大な人物を知り、もっと評価し、市民としての 誇りにしたいものです。
幣原の生家跡には兄弟を顕彰した石碑が建てられてい ます。
碑は1966年(昭和41年)に建てられ、題字 は吉田茂の直筆であり、碑文は当時の大阪府知事佐藤 義詮によるものです。

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