No.1 佐太天神宮について

地元の話 No.1

元6地区委員  加藤 光信

天神さんとして崇められている、菅原道真公(845~903年)は、平安時代の 学者、政治家。遣唐使を廃止させた右大臣のとき(901年=昌泰4年)妬まれて 筑紫(今の九州太宰府)へ流される途中、現在の守口市佐太町にしばらく滞在 し、都からの沙汰を待ったが、一向にその沙汰がないまま筑紫へ、下向するこ ととなった。
佐太の地名は、「道真公が沙汰を待つために滞在したことをうけて名づけ られた(沙汰)の訛ったもの」といわれている。
道真公は、出立に際し、この地に自身の木像と自画像を残すとともに、一本の楊枝を地に挿し「わが身の 無実の証拠として二葉の松となって生き栄えよ」と誓 ったところ、その楊枝がほどなく発芽し、見事な松の 木に成長したと伝えられている。
道真公がなくなって約50年後の947~957年ごろ、里人が道真公の徳を慕 い、道真公が残した木像を祀るために創建されたのが「佐太天神宮」の起源 とされている。

参考資料:「大阪再発見」神社めぐりより

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