No.3 義農・喜左衛門

地元の話 No.3

「人の鏡の喜左衛門 里のほまれよ ほこりよと~」 これは守口市寺方小学校校歌の冒頭の一節です。
この校歌に唄われている喜左衛門とはいったいどういう人物だったのでしょうか。
私たちの住んでいる北河内一帯は、大昔から低湿地帯で農民たちは水害との戦いでした。
雨が数日降り続くたびに水路は氾濫し、農作物は勿論、生活にも大打撃をうけていました。 と守口市史に記されています。
南寺方の庄屋、喜左衛門は樋(排水溝)の設置を幕府に願い出たのですが、なかなか許可がおりませんでした。
喜左衛門記念碑 そこで喜左衛門は、許可を得ず私財を使い独断で樋を設置したのです。
そのため、寛永13年(1635年)捕らえられ、一族もろとも処刑されてしまいました。
喜左衛門の死後もこの樋は撤去されず当地の樋の基準とされ、多くの農民たちを水害から守り ました。
生命を賭して農民たちを救った喜左衛門を顕彰し、昭和13 年に喜左衛門記念碑が建立されたのです

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