【奈良の民話/伝説⑤】おふじ井戸

「おふじ井戸」

奈良市東部の柳生にはいろいろな民話/伝説が残されています。
今回は「おふじ井戸」という伝説をご紹介します。この井戸は、徳川家の剣術指南役として有名な「柳生一族」の当主であり、柳生藩初代藩主である柳生宗矩と側室・おふじの方の「馴れ初め伝説」の場所だそうです。
伝説のあらすじは写真の下にありますのでご覧ください。
(なお、写真は2018年6月に撮影したものです)

《伝説のあらすじ》

柳生宗矩は、春日大社の宮司のところへ、よく囲碁を打ちに行ったそうです。
ある日、いつものように宗矩が馬に乗って「かえりばさ峠」を越えて阪原村まで来たとき、道端の井戸で、後ろ姿が美しい娘が洗濯をしていました。気になった宗矩はいきなり馬を止め、「これこれ娘、そちはいま洗濯をしているが、水が揺れてできる波の数はいくつあるか、すぐに答えてみよ」と聞きました。娘はすぐに、「はい、二十一波でございます」と答えました。七と三で、ひちさん二十一、それで二十一波と答えたのです。すかさず娘は、「では、お殿様。お殿様は、柳生からここまで馬でいらっしゃいましたが、その馬の足跡はいくつほどございましたか」と言いました。お殿様はぐっと答えにつまってしまいました。柳生新陰流の名人、ときの将軍に剣を教えるほどの達人が、おふじに一本取られたわけです。宗矩は、(賢い娘だなあ)と感心し、この娘の知恵はきっと役に立つに違いないと考えたということです。
この娘が、宗矩の側室になった「おふじの方」で、柳生家の菩提寺・芳徳寺の列堂和尚のお母さんです。村の人は、この井戸を「おふじ井戸」と呼んでいるそうです。

(2021.1.21 小西 宏明)

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