【奈良の民話/伝説⑦】園生姫と月ヶ瀬梅林

「園生姫と月ヶ瀬梅林」

奈良市の中心部から約30km離れたところ、名張川下流域(五月川)の渓谷沿いに「月ケ瀬梅林」があります。この「月ケ瀬梅林」は、奈良公園・兼六園とともに日本最初に指定された国の名勝だそうで、現在でも1万本以上の梅の木がある関西屈指の梅の名所です。
ここには梅林が生まれるきっかけとなった「園生姫」の伝説があります。

伝説のあらすじは写真の下にありますのでご覧ください。
(なお、写真は2018年6月と2020年2月に撮影したものです)

《伝説のあらすじ》

昔、後醍醐天皇が京の都から笠置に逃げてこられたとき、園生姫というきれいなお姫様を連れてこられたそうです。敵が攻めてきて逃げる途中、家来とはぐれてしまった園生姫は、山の中で、何も食べる物もなく、疲れ果てて倒れてしまいました。朝になると、尾山の村の人が、倒れていた園生姫を見つけて介抱してくれました。それで、園生姫は、尾山の村で暮らすことにしました。
ある日、園生姫が天神様にお参りに行くと、梅の木に熟れた実が鈴なりになっていたそうです。それを見た園生姫は、梅の実を取って帰り、炭火で一晩中いぶって、天日に干して、真っ黒な梅を作ったそうです。そして、「これは烏梅というもので、染め物に使うものです。都に持って行ったら、高く売れます」と言いました。村の人が、教えられたとおりに烏梅を作って、京の都に持って行ったら、大変高い値で売れたそうです。
それからは、尾山でも隣村でも、山に梅の木をたくさん植えるようになったということです。これが月ケ瀬梅林の始まりです。尾山の人が園生姫を助けた森が「園生の森」で、いい温泉が湧いていて「姫の湯」として、多くの人に親しまれています。

(2021.2.1 小西 宏明)

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