大和郡山城(奈良県大和郡山市)は、1580年に筒井順慶が築城し、豊臣秀長の時代に完成した壮大な平山城です。
豊臣秀長は、1585年から、大和、和泉、紀伊 三か国 100万石の領主でした。
奈良は良質な石材が乏しかったため、奈良一帯の各戸に五郎太石20荷の提供を義務付けます。
寺院の石地蔵や墓石、仏塔なども徴発され石垣石として使用されました。
1585年、同時期に紀州征伐後の和歌山城築城(城代・桑山重晴)四国征伐等、大和大納言として政権の安定に貢献します。
和歌山城は、関ヶ原の戦いの後、浅野幸長が入城します。
1619年、徳川家康10男・徳川頼宜が入城、徳川御三家:紀州藩の祖となります。浅野家は広島藩に転封。
1591年豊臣秀長が没し養子豊臣秀保も1595年に死去すると、大和大納言家は断絶し100万石城の時代は終了します。
郡山城の天守は関ヶ原の戦いの後、京都二条城を経て淀城に移築されたとの説があります。
以降変遷ありますが、1724年に柳沢吉里が甲斐甲府藩から15万石で移封され、城下町の整備に努めました。
国の史跡や続日本100名城に指定、春は「桜名所100選」の絶景が楽しめます。
復元された追手門や天守台の石垣(逆さ地蔵)が特徴です。
近鉄郡山駅から徒歩約7分です。(和歌山 石山)
【大和郡山城】
大和で最も大規模な城郭で、大和・和泉・紀伊 3ヶ国 100万石に相応しい規模です。
近年、大手門などが復元され 2017年には天守台展望施設が完成しています。
石垣と堀が良好に残る国指定史跡・続日本100名城の城です。
- 大和郡山城 追手向櫓
- 櫓門
- 櫓門
- 大和郡山城_天守台より
- 天守台
- 城址会館
- 柳澤文庫
- 柳澤神社
【春丘院】
大納言豊臣秀長の菩提寺です。
秀長の肖像画や御朱印箱および箱本制度の史料文献が残されています。
- 春丘院へ移動
- 春丘院 大納言 豊臣秀長の菩提寺
- 春丘院 大納言 豊臣秀長の菩提寺
【源九郎稲荷神社】
日本三大稲荷の一つ、豊臣秀長が郡山の鎮守として祀った神社です。
歌舞伎の「義経千本桜」に出てくる源九郎狐伝説が伝わります。
*歌舞伎で三大名作と言われるのは『仮名手本忠臣蔵』、『菅原伝授手習鑑』、『義経千本桜』です。
義経千本桜は、源平合戦後の源義経が兄・頼朝に追われる流浪の旅のなか、死んだと思われていた平家の武将たちと再会
敵味方を越えた人間模様や狐忠信の親狐を慕う情愛を描く物語です。
義経が頼朝から逃れて吉野へ隠れる際、狐が初音の鼓(親狐の皮で作られた)を慕って忠信に化身し、静御前を護衛したという伝説です。
映画・国宝での歌舞伎の演目、『京鹿子娘道成寺』は、女形の最高峰と認められた「 立女形 」が演じる特別な演目です。
安珍・清姫伝説(大蛇となって鐘を焼いた物語)の後日談。道成寺は和歌山県日高町にあります。
- 源九郎稲荷神社
- 源九郎稲荷神社 集合写真
【箱本館「紺屋」
江戸時代から続いた藍染商の町屋です
- 旗本館「紺屋」藍染商の町屋再生
- 旗本館「紺屋」藍染商の町屋再生
- 旗本館「紺屋」藍染商の町屋再生
【町屋物語館】
大正13年に本館と奥座敷が立てられました。
木造三階建てで、貸座敷として一世を風靡しましたが、昭和33年に廃業。
当時の上流花街の繁栄を偲ばせています。
- 町家物語館
- 町家物語館
- 町家物語館
- 町家物語館 猪目窓
- 町家物語館
- 町家物語館
【大和郡山市内】
- 大門湯
- 御宿 花うち屋
- 郡山城外堀 柳町大門跡


































『行ってきました』表記は「大和郡山城」としました。
一般的には、『郡山城』は、奈良・大和郡山城が広く知られています。
歴史の舞台として「郡山城」と呼ぶ場合、多くは「安芸の毛利」「大和の豊臣・柳沢」のどちらかを指します。
郡山城、次の3つがあります。
1. 安芸・郡山城(広島県安芸高田市吉田町)日本100名城の一つ
特徴: 標高約400mの山全体を要塞化した山城。
歴史: 毛利氏の本拠地。毛利元就がこの城を拠点に中国地方を制覇。
別名: 郡山城跡(吉田郡山城)。
2. 大和郡山城(奈良県大和郡山市):続日本100名城の一つ
特徴: 石垣で囲まれた平山城。江戸時代には郡山藩の中心。
歴史: 織田信長の命令で筒井順慶が築城、その後、豊臣秀長が大幅に拡張。
別名: 郡山城(大和国)
3. その他(二本松藩郡山陣屋など)
福島県郡山市周辺にあった二本松藩の代官所など