分割掲載【3日目】山本さんの歴史探訪旅行記 上田

山本さんの歴史探訪旅行記
・8分割3日目 13-20

 ホームページ担当の鷲見です。
 先に掲載した山本さんの歴史探訪旅行記は47箇所の解説を1ページに掲載しましたが、長すぎて下まで読みきれないとのご意見もあり、8日の旅を8ページに分割しました。参考までに、旅先をプロットしたGoogleマップを添付しました。

歴史探訪 上田

山本さんの歴史探訪旅行記

三日目・クリックで開きます


13.
大輪寺
 真田昌幸夫人の墓
 長野県上田市中央北1-5-7
山本さんの歴史探訪旅行記
 寺伝によると寺はもと砥石城(旧神科村)の東麓の「畑山」にあったが真田昌幸が上田築城の時、夫人の発願によって現在地に再建。昌幸夫人(寒松院)の墓があるお寺で長男信之(幸)、次男信繁(幸村)の生母。生前は山之手殿、または京の御前と呼ばれていた。本堂の前にある立派な楼門には東西に回廊が伸びていて堀で囲まれ小さな城の様な造り。真田家にゆかりがある寺院らしく本堂の屋根の上部に真田家の家紋・六文銭が刻まれている。寺は少し奥まったところにひっそりと建っている。 寺の後ろの山道を少し上ると寒松院の墓がある。
 
 


14.
砥石城
 比高160m 難易度3
 長野県上田市上野2604
 P5台 登城25分程
山本さんの歴史探訪旅行記
 村上義清と武田信玄が激しい争奪戦を展開、有名な「戸石崩れ」の舞台。この地方に勢力を張った村上義清の重要な拠点。城は上田盆地の北東にそびえる東太郎山の尾根先を利用して築かれ東は切りたった崖、西は急坂続きの斜面で、麓に展開する旧神科村畑山・伊勢山・金剛寺の三集落にまたがるスケールの大きい山城群。枡形城、本城、砥石城、米山城の4城を総称して「戸石城」と呼ぶ。1550信玄がこの城を大軍で1カ月余攻めたが攻略できず退却に千人の犠牲を出した。その翌年武田氏配下の真田幸隆が得意の策略で城を乗っ取り居城とした。城跡からは上田市街と真田の町並みが一望できる。陽泰寺近くに駐車可能。道がわかりやすいのは南の登山口でトイレも完備。ここから登ると砥石城と米山城の間の鞍部に至る。攻城メモ:遺構が沢山残っていて良い城跡
 

14砥石城


15.
真田氏館跡(お屋敷公園)
 長野県上田市真田町本原2984-13
山本さんの歴史探訪旅行記山本さんの歴史探訪旅行記
 真田氏が上田に移るまで使用していた居館の跡。周囲には数十mに渡るハシゴ形状の土塁が巡らされている(虎口の遺構も残る)。当時の居館の形態がほぼ完全な形で保存されている。現在は「御屋敷公園」として整備されツツジの名所として有名。隣接して真田氏歴史館あり(入館250円 火曜日休館)
 


16.
真田氏本城
 別名:真田山城、松尾新城
 比高150m 難易度1
 P長野県上田市真田町長5029-3
山本さんの歴史探訪旅行記
 真田の郷のほぼ中心部の小高い山上尾根の突端にある。真田氏の本城にふさわしい規模の城で城跡からは砥石城や矢沢城を一望できる。城跡には土塁や郭が残り自然の地形を活用した真田氏の巧みな築城技術がしのばれる。上田城の築城まで三代にわたり真田氏の本拠地となる山城。山城に必要な水の手が上方の山地から本城に続く尾根づたいに本郭の近くまで引き込んでいた。現在は公園として整備されており登頂部には駐車場あり。
 攻城メモ:堀切や数カ所に立て札あり。 幹線道路から上がる道は狭くて急だが 短距離なので苦にならない。 トイレが新しくキレイ。
 
 


17.
長谷寺ちょうこくじ
 (真田氏菩提寺)
 長野県上田市真田町長4646
山本さんの歴史探訪旅行記
 真田幸隆が開山した真田氏の菩提寺。本堂の右脇奥から山の方へ50mほど入って行くと幸隆夫妻と昌幸の墓あり。幸隆が武田信虎らに信州を追われ上州に数年亡命。武田家が晴信(信玄)に代替わりすると幸隆は自ら晴信に随身し村上義清から戸石城を奪うことに成功。そして旧領を回復して真田の里に復帰。六文銭が刻まれた石門やこれを覆うように咲くシダレザクラも見どころ。町はずれの結構奥深いところにひっそりとあるお寺。
 
 
 


18.
松尾古城
 比高196m 難易度3
 長野県上田市真田町長横沢
 真田町長字日向
 松尾城の無料駐車場あり
 詳細は定かでないが真田氏が築いたと考えられる。海野一族の幸隆が世に知られる以前の真田氏は資料が乏しいが四阿山・菅平山麓の牧経営から山家郷を治め上田荘・常田荘へと勢力を拡大した有力土豪。1548武田晴信が村上義清と戦った上田原合戦の頃、幸隆が武田氏に仕えその後の戦功により本領真田郷を回復。幸隆は横尾城や松尾城などの真田本城を囲む支城を整備している。
 


19.
信綱寺(しんこうじ)信綱菩提寺
 長野県上田市真田町長8100
 真田幸隆–信綱・昌輝・昌幸–信之・信繁(幸村)
 室町時代の創建。信綱は真田幸隆の長男でここが菩提寺。幸隆の死後、真田家を継ぎ武田ニ十四将の一人となるも家督相続後、わずか1年後長篠の戦いで討ち死(享年39)する。ニ男・昌輝も討ち死にし「長篠合戦図屏風」には六文銭の旗差し物を伏せ、馬防柵に突進する信綱・昌輝兄弟が描かれている。長篠合戦後、三男・昌幸が家督を継いだ。信綱の墓は本堂の右側(鐘台の外)に進み裏山へ続く舗装路をちょっと歩くとある。
 先祖は信濃国東部に古代から栄えていた滋野一族に属する海野氏の流れと考える向きもある。
 


20.
日向畑遺跡(ひなたばたけ)
 長野県上田市真田町長角間
山本さんの歴史探訪旅行記
 松尾古城の麓にあり角間集落の西入口、松尾古城跡の南麓一帯は真田氏の古い居館跡。ここに安知羅明神や阿弥陀堂があり周辺には多くの石塔群も点在また安知羅明神には真田幸隆または幸村の少年時代と伝えられる木像が安置されていた。かつてここには真田氏の菩提所と伝わる常福院とよばれた寺院があったことが記録に残る。日向畑遺跡はちょうどその寺院の境内にあたると見られる。五輪塔と宝篋印塔を墓塔とした墳墓跡で全体として23か所の納骨遺構が確認されている。時代については室町から戦国にかけてのものと推定。長谷寺の北で近い
 
 
 
 
 


宿泊3 5月17日.
ホテル上田山荘
 〒386-0014 長野県上田市材木町2-6-32 0268-22-9720
 P無料
シングル夕朝無し 3900円(税込) トロン温泉24時間入浴可。 冷蔵庫付き 洗浄機付トイレ(一部) JR上田駅から徒歩約28分
 口コミ:建物は古いが部屋設備は新しく、和室は快適、トロン温泉が気持ちいい。この価格でこれは十分。
 

 このように、皆様の活動を支部ホームページでご紹介したいと思います。ご意見ご要望はこちらのお問い合わせまでお知らせ下さい。

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP