分割掲載【4日目】山本さんの歴史探訪旅行記 嬬恋 吾妻 高崎

山本さんの歴史探訪旅行記
・8分割4日目 21-27

 ホームページ担当の鷲見です。
 先に掲載した山本さんの歴史探訪旅行記は47箇所の解説を1ページに掲載しましたが、長すぎて下まで読みきれないとのご意見もあり、8日の旅を8ページに分割しました。参考までに、旅先をプロットしたGoogleマップを添付しました。

歴史探訪 嬬恋 吾妻 高崎

山本さんの歴史探訪旅行記

四日目・クリックで開きます


21.
大笹関所跡
 群馬県嬬恋村大笹322
 真田歴史館から144号線、145号線を群馬方面へ約30分程(無料))
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 1662沼田藩主真田氏が設置、1868明治元年まで約200年取り締まった。信州街道(大笹街道)は上州と信州を結ぶ代表的なルートの1つで人々の交流や物資の流通に大きく貢献。また戦略的・軍事的な面からも上野国の中では碓氷、猿ヶ京などと並ぶ重要な関所の1つ。関所と接する沢には刎ね橋(はねばし)が架けられている。現在残る門扉の建築部材は廃関当時のもの
 


22.
大笹宿
 群馬県嬬恋村大笹
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 信州と上州の往来に北国街道・中山道よりも脇道のここ信州街道(大笹街道)の方が規制が緩く距離も短く通行量が増えた。そのため幕府は1650信州街道を北国街道の脇往還として公認。宿場町・荷継場として発展した。当時の職業がそのまま屋号となった「鍛冶屋」「油屋」などがあり今も残る。現在の大笹は古い家が減っているが国道144号の新御関所橋から大笹交差点付近を歩くと昔の町並みの雰囲気が感じられる。
 


23.
赤岩宿
 重伝建
 群馬県中之条町赤岩225
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 集落が立地する場所の標高は約690〜710m。地区内を南北に走る通り沿いに昔ながらの家並みが続いている。高野長英が隠れ住んだ湯本家が中心にある。赤岩は養蚕業を中心とした歴史ある農山村で明治から昭和中期を中心とする養蚕農家群十数棟が残る。小屋・蔵や石垣からなる敷地、神社やお堂、森林、山並みなど養蚕に係わる伝統的な集落のたたずまいを今に伝えている。口コミ:赤岩ふれあい家はコミュニティ施設。日本で最も美しい村、のどかで落ち着ける世界。軽くタイムトリップした気分になる。
 

23赤岩宿


24.
潜龍院跡(せんりゅういん)古谷館
 群馬県東吾妻町郷原古谷
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 1582真田昌幸が勝頼公を迎えるため築いた館城がここ古谷御殿。しかし勝頼は小山田氏を頼ることを選択したので不使用に。この御殿跡は潜龍院という寺院となり明治まで続いた。絶壁の岩櫃山の眼下に開けた不思議な空間で山の中に開けた庭園のよう。さしづめ真田のマチュピチュ。岩櫃山を外から見ている限りはその空間の存在など想像することはできない。入口手前20mに近づいても木立のベールに包まれている。しかしそこに足を踏み入れるや一瞬にして現代社会とは隔絶され戦国の世となる。真田氏が築いた特徴を持つ石垣が残りその上に館城があったことが容易にイメージされる。
 県内の父娘との会話:10:00ころからの岩櫃山登山を兼ねたハイキングも終わりに近ずいた様子だった。親子の関係が実にさわやか。二人して今日の工程と感想を額の汗をふきふき話してくれた
 


25.
岩櫃城(いわびつじょう)
 比高 80m 難易度3
 国史跡
 続日本100名城
 群馬県東吾妻町原町1935
 岩櫃城P(無料)約50台
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 岩櫃山の厳しい岩肌に守られた天然の要塞。岩櫃山802mの中腹594mに位置し室町期に斉藤氏築城。1563上杉謙信に従う斉藤氏を武田信玄に従う真田幸隆が攻め落城させた。真田信繁(幸村)が幼少時代をここで過ごしたとされる。織田信長による甲州征伐の際、昌幸は武田勝頼に新府城からこの城に逃るよう勧めたものの勝頼が外様の真田氏より小山田信茂の岩殿城を選んだため武田氏は滅亡。その後、真田氏は豊臣秀吉や徳川家康に従属して大名として生き延び岩櫃城も存続したが一国一城令で廃城(1614年)。
 攻城メモ:2016オープンの平沢登山口駐車場からスタート。ここから頂上まで約15分。ほぼ登山なので靴には注意。9月下旬ながら蚊もウヨウヨ。遺構は綺麗に残っている箇所もあり、見応えある。(2020/09/21訪問)
 


26.
長井石器時代住居跡
 群馬県高崎市倉渕町権田甲
 縄文時代後期の遺跡で平らな石を巧みに敷き詰めた住居跡。標高550mにあり約9度の勾配を持った南西向きの傾斜面に位置、昭和28年(1953)に発見。住居内から壺状の土器、石棒片、磨製石斧などが出土。
 


27.
東善寺(小栗上野介忠順公菩提寺)
 群馬県高崎市倉渕町権田169
 小栗公の墓参だけの場合は無料
 日本近代化の礎を築いた小栗上野介忠順。ここは小栗家五代政信公を中興開基とする曹洞宗のお寺。境内には上野介、又一、殉難の家臣らの墓が並ぶ。墓は麓に供養墓が、本墓は供養墓から2~3分登った所にある。1860、34歳の時、井伊大老の抜擢により洋式軍隊の整備、横須賀造船所の建設など日本の近代化を押し進めた。徳川慶喜の恭順に反対し薩長への主戦論を唱えるも容れられず1868罷免されて領地の上野国権田村に隠遁。65日後無実の罪を着せられ斬首。享年42才。1905日本海海戦で勝利した連合艦隊司令長官東郷平八郎は自宅に子孫を招き「日本勝利は小栗さんが横須賀造船所を建設してくれていたおかげ」と感謝したという。
 


宿泊4 5月18日(水)
道の駅「くらぶち小栗の里」
 027-384-8282
 群馬県高崎市倉渕町三ノ倉296-1
 9:00~19:00 毎月第2木曜日(定休)
 長閑な田園風景の中にある群馬県で29番目の新しい道の駅。こちらでは郷土料理の食堂でお勧め:おきりこみ鍋750円やトマトカレー750円。24時間利用可能の屋上デッキからは山々に囲まれた田園風景を見渡すことが可能。周辺観光情報も豊富なので草津や北軽井沢にお出かけの際に「よりみち」したい道の駅。

 このように、皆様の活動を支部ホームページでご紹介したいと思います。ご意見ご要望はこちらのお問い合わせまでお知らせ下さい。

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