分割掲載【6日目】山本さんの歴史探訪旅行記 佐久 野辺山 伊那 飯田

山本さんの歴史探訪旅行記
・8分割5日目 36-41

 ホームページ担当の鷲見です。
 先に掲載した山本さんの歴史探訪旅行記は47箇所の解説を1ページに掲載しましたが、長すぎて下まで読みきれないとのご意見もあり、8日の旅を8ページに分割しました。参考までに、旅先をプロットしたGoogleマップを添付しました。

歴史探訪 佐久 野辺山 伊那 飯田

山本さんの歴史探訪旅行記

六日目・クリックで開きます


36.
龍岡五稜郭
 続日本100名城
 国史跡
 長野県佐久市田口2975-1
 であいの館(定休:火曜日)
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 完成は函館五稜郭1864から3年後で日本に2つしかない星型稜堡の洋式城郭。江戸末期に三河国奥殿藩の藩主(1万6千石)・松平乗謨は分領である信濃国佐久郡への藩庁移転と陣屋新築の許可を江戸幕府から得て1864着工、1867竣工。フランスで考案した稜堡式築城法で突角部に砲座を設け各稜堡から十字砲火で攻防することを目的とした。しかし周囲の山から砲弾が届く距離であるなど軍事施設としては問題を抱える。実戦に備えた要塞ではなくあくまでも藩主居館として設計されたもの。廃藩後明治5年(1872)城は取り壊されたが堀と土塁、建物の一部「お台所」が城内に残る。函館五稜郭に比べ規模は約半分。
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37.
海ノ口城(うんのくちじょう)
 比高210m 難易度3
 長野県南牧村海ノ口大字海ノ口
 現在林道は峠付近通行不可なので途中までか?
 築城時期、廃城時期など不明。甲斐に備えた境目の城で佐久地方南部を支配していた豪族・平賀源心の出城。平賀氏は鎌倉幕府の有力な御家人となって中央で活躍していたが佐久では1400信濃守護の小笠原長秀の系統の大井氏と争った。その後平賀氏は平賀城の城主で武田氏ともしばしば戦火を交えた。1536武田信虎は8千の兵を率いて出陣。平賀成頼2千の立て籠もるこの城を攻めた。36日間の包囲するも陥ちず冬の到来で信虎は撤退。この際、信虎嫡男、晴信(信玄)は初陣であるが殿軍を申し出て兵3百を率い城に奇襲を掛け落城。源心討死。以後武田氏の信濃国攻略の中継地、兵站基地となる。駐車場から山頂まで徒歩約20分。
 
 
 


38.
野辺山駅
 (標高日本一1,345m)
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 長野県南牧村大字野辺山306
 観測所:野辺山462-2
 小諸駅と小淵沢駅を結ぶ小海線沿いに位置。目の前に登山者に人気の八ヶ岳が広がり、主峰「赤岳(あかだけ)」も見える。大迫力の山々と高山植物の宝庫でシーズン中多くの観光客あり。野辺山駅と清里駅の中間には世界一の精度・大きさのパラボラアンテナを備えた「国立天文台野辺山宇宙電波観測所」がある。標高1,000〜1,400mの「清里高原」は多くの観光・体験スポットがあるカントリーリゾート。
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39.
御堂垣外(みどうがいと)の本陣門
 長野県伊那市高遠町藤沢御堂垣外
 江戸時代1684年から高遠藩領の宿場町。正式名称は「伊那街道御堂垣外宿」。1725お茶屋を廃してこの街道唯一の本陣を新設。脇本陣はなく問屋が代りを勤めた。今でも本陣跡には御門が残っている。この街道を参勤交代に利用した大名は高遠藩・飯田藩や旗本達など。現在も国道152号線沿いに往時を偲ばせる土蔵や旅籠建築が並ぶ。


40.
仁科盛信墓
 長野県伊那市高遠町勝間
 武田信玄の5男(勝頼の弟)で仁科家の家督を継いだ。1582織田信長の嫡男信忠が5万の大軍を率いて信濃へ侵攻。高遠城の兵はわずか3000。大島城の武田信廉などはたいした抵抗もせずに城を破棄して甲斐へ引き上げるなか仁科盛信は城に籠もって信忠の開城勧告も無視して徹底抗戦した。しかしわずか一日で高遠城は落城し盛信は自刃。享年26才。墓は高遠城の南に聳える五郎山山頂(比高約200m)にある。白山トンネルの長谷方面出口付近に五郎山に登る車道(分かりにくい)があり山頂付近まで車で行ける。車を降りて登山道を徒歩3分で墓と石像有り。盛信の死から9日後勝頼も天目山で自害、武田家は滅亡した。
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41.
天空の村「下栗の里」
 「日本の里100選」
 長野県飯田市上村1040
 152号線から山道を約8km。対向車に出会う心配なし
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 長野県の山奥にある天空の村「下栗の里」は、南アルプスを望む飯田市上村の東面傾斜面にある標高800m~1,000mの地区。最大傾斜38度の斜面にはりつくように民家や農地が並ぶ絶景地で遠山郷を代表する景観。つづら折りの坂道を抜けて到着するのが食事処はんば亭も併設する下栗の里駐車場。ここを拠点に眺めや里歩きが楽しめる。こんな場所に数十戸の集落が点在することに驚く。駐車場から徒歩20分で絶景に出会えるビューポイントから見おろすとまるでミニチュアに見える。景観の美しさ、自然と暮らしの調和、こうした姿がオーストリア・チロル地方に似ていることから「日本のチロル」と呼ばれる。下栗の歴史は不明だが隣接する中根地区で縄文土器が出土していることからここも既に人が生活していたと推測される。鎌倉武士が分け入り定住したとも言われる。その後、遠山氏の治めるところとなり現在に至る。江戸時代後期から人口は増えて多いときは300人を超えた。原則:•坂道でのすれ違いは上り車が優先。•車もバイクもライトを点灯して通行。下栗に宿が三軒ある。1泊2食 7,600円~
 

41遠山


宿泊6 5月20日(金)
道の駅「遠山郷」
 長野県飯田市南信濃和田548-1
 TEL 0260-34-1071
 10:00~21:00 木曜休み
 普通車:104台 標高400m
 2005開駅。ヒノキを贅沢に使った木の香りにあふれる自慢の駅舎。南アルプスと伊那山脈の山峡を走る国道152号(青崩峠・地蔵峠が未通で林道使用)沿いの飯田市南信濃にある。日帰り温泉施設(露天風呂・各種の風呂を備えた天然療養泉「かぐらの湯」620円)、レストラン、直売所、観光案内所、足湯が併設。お勧め:ジンギス丼(1000円)
 ここは遠山郷の中心地で遠山地方を治めた遠山氏の本拠地。居城和田城の城下町。城の隣にある龍淵寺(りゅうえんじ)は1521遠山氏の菩提寺として開山。

 このように、皆様の活動を支部ホームページでご紹介したいと思います。ご意見ご要望はこちらのお問い合わせまでお知らせ下さい。

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