『聖徳太子ゆかりの名所太郎坊宮』

私の住む旧八日市の近江鉄道太郎坊駅前に、人々の信仰を集める太郎坊(たろぼう)さんで親しまれている通称 太郎坊宮(たろぼうぐう)があり今回地域の紹介でご紹介させて頂きます。

正式名称を阿賀神社(あがじんじゃ)と言い、お祀りされている神様は正哉吾勝勝速日天忍穂耳大神(マサカアカツカチハヤヒアメノオシホミミノオオカミ)伊勢神宮の天照大神の第一皇子神(人間でいう長男)にあたるそうで、その歴史は約1400年前に遡るそうです。
太郎坊宮がある東近江市小脇町の由来は、天照大神が天忍穂耳大神を常に脇に抱いて大切に養育された為に「此の脇の子」と称され、後にこれが転じて地名の「小脇」になったと言われています。

太郎坊宮の石段
太郎坊宮がある山は赤神山(あかがみやま)別名太郎坊山と呼ばれ、滋賀県東部の湖東平野に位置する箕作山系に属し、標高は約350メートル。阿賀神社本殿はその中腹にあります。
そのため本殿参拝には、石段を登ります。
その数一番下からだと、何と約740段。私は、中腹の参集殿前にある駐車場から石段を登りました。
それでも、約350段( ノД`)シクシク…。

御由緒 ― 太郎坊宮の歴史 ―
そもそもその歴史は古く言い伝えや文献を辿っても「古すぎてわからない」と言うのが実情との事です。
そんな中、お忙しい太郎坊宮宮司奥田様にお話を伺ってきました。
そもそも、信仰は原初的な自然物や自然現象を崇拝する自然崇拝が始まりであり、そんな中で大昔の日本人は、太郎坊宮の鎮座する赤神山(あかがみやま、太郎坊山とも)を神宿る霊山と敬い崇拝していました。
当神社のご神徳は広く知られ、聖徳太子は国家の安泰と万人の幸福を祈願しました。
伝教大師最澄も当神社にお参りし、ご神徳に感銘を受けて50余りの社殿・社坊を建立されたといわれています。
聖徳太子(574-622年)はここ東近江市や近郊と深く関りがあります。近くの北花沢・南花沢にある国の天然記念物に指定された花ノ木は、今から1300年余り前、聖徳太子が百 済寺を建立しての帰りにこの地で昼食をとり、そ の折、使っていた箸を地面にさされ、その箸が成長してハナノキになったという伝説があります。
また、東近江市文芸会館の緞帳には蒲生野で狩りをする聖徳太子御一行が描かれています。
さらに聖和町(せいわちょう)、聖徳町(せいとくちょう)、聖徳中学校と数えきれないほどです。
また、源義経も当神社に参詣して源氏興隆を祈念したと伝わり、その折に座られた「義経公腰掛岩」が現在に伝わります。
このように人々の信仰が深くなるにつれ、この霊山で修業をする修験者が多く現れます。
そして、神道を基に天台山岳仏教と修験道が相交わる独特の信仰形態が確立されました。
太郎坊宮にお祀りする神様は、先に書きましたが正哉吾勝勝速日天忍穂耳大神で神様のお名前には「まさに勝った、私は勝った。朝日が昇るように鮮やかに、速やかに勝利を得た」という、勝利を象徴する意味が込められています。
そのお名前の通り、勝利と幸福を授ける神様として信仰されています。
古くは聖徳太子をはじめ、伝教大師最澄や源義経、室町幕府近江守護職佐々木六角氏などの尊崇を集めたといわれます。
人々は「神験即現(しんげんそくげん、神様のご利益がすぐに現れる)の大神」とたたえて敬いました。
現在ではプロスポーツ選手や、第一線で活躍する企業経営者、政治家、職人、ビジネスマンなど業種を越えた多くの方々がご利益を仰がれます。
また、この地は渡来人とのかかわりも深く天智天皇4年(655年)と天智天皇8年(669年)に合わせて1100名余りをこの地に送り込んだと日本書紀に書かれており近くには高麗寺、百済寺等随所に渡来人との関りを思わせる名称が残っています。近くの布引丘陵では渡来系の高度な技術を駆使したと推定される窯場跡があり、それらの人々の技術と財力で太郎坊宮の草創期の発展がうかがえます。

太郎坊天狗 ― 神社を守護する天狗 ―
太郎坊宮は、正式名称を阿賀神社(あがじんじゃ)と言います。
この「太郎坊」とは、阿賀神社を守護する天狗の名前であると伝わっています。
また、太郎坊は役行者の兄弟子で弟の次郎坊は京都の愛宕山と言われています。
太郎坊天狗は、伝教大師が赤神山に社殿を建てようとした時には、山奥から現れて手助けしたと言います。

自然崇拝の象徴 東近江市指定天然記念物に指定された夫婦岩
子供のころ、この岩の間を通るとき嘘をついたら挟まれるぞ! と良く言われたものです。

夫婦岩(めおといわ)と読み本殿前にそびえたつ大岩で山側を男岩、谷側を女岩と称します。
太郎坊大神の神力によって左右に押し開かれた大岩で幅80cm程の間道が12mに渡って通っています。
夫婦岩の間道は東西より約10度のずれがあり、春分や秋分前後の日の出、日の入りの太陽の通り道と同じと言われています。
昔から「良い心の持ち主が祈願をこめて通れば、諸々の願いが成就する。
一方で、悪い心の持ち主が通れば、岩に挟まれる」と言う言い伝えがあります。
江戸時代には「太郎坊宮の夫婦岩は天狗の住まいなので、人間は行ってはいけない」と書いてある書物まであったそうです。
「太郎」という名前は、最も優れたものや最も秀でたものに付けられる名前ですので、太郎坊天狗は人々から畏敬された存在であったといえます。
そのため、太郎坊天狗が守る神社、太郎坊の宮となり、やがて太郎坊宮が定着したと思われます。そうした経緯から、当神社は「阿賀神社」と「太郎坊宮」の2つの名称をすることになりました。人々は「阿賀大明神(あがだいみょうじん)」「太郎坊大権現(たろうぼうだいごんげん)」との尊称を奉り、ご加護を願ったといいます。

観光名所
太郎坊宮のある赤神山の中腹にある駐車場や、本殿前の展望台から蒲生野が一望でき素晴らしい眺めが楽しめます。

左の写真は中腹の駐車場よりの眺め、右は本殿前からの眺めで共に蒲生野を一望できます。
春は桜、夏は新緑、秋は紅葉、冬は雪化粧と四季を通じて色々な景色が楽しめます。
さらに、国内でも有数なパワースポットで3密など程遠い別世界が味わえます。ぜひ一度ご参拝ください。
また、参道を車で進むと聖徳太子が四天王寺建立のため瓦10万枚余りを焼かせたという瓦屋寺があり、ここも素晴らしい史跡ですので合わせて参拝されることをお勧めします。
桜、紅葉が楽しめ「わびさび」の世界に浸れます。

最後に、投稿にあたって、ご尽力を賜りました太郎坊宮宮司奥田様には心より御礼申し上げますと共に、太郎坊宮様の益々のご清栄と皆様のご健勝・ご多幸を祈願し筆を収めます。
本当にありがとうございました。
今回の新型コロナウィルス終息と東京オリンピックの大成功を祈願する東近江名物大凧に託されていました。

                  2020年6月   〈投稿者〉東近江市在住 加藤 公軌
             

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP