地域の紹介 『かくれ里 金勝寺』

地域の紹介

『かくれ里 金勝寺(こんしょうじ)』

 栗東市荒張の全国植樹祭が行われた場所、現在は道の駅「こんぜの里りっとう」より山手に向かい、車で10分程の標高550mのところに浄土宗『金勝寺』が建立されています。
 ここは奈良時代に聖武天皇の勅願(ちょくがん)により、良弁僧正が国家鎮護の祈願寺として開基しました。

◆仁王門

◆良弁杉
 参道を上る脇に「金勝寺の千年杉」と言われる大変大きな杉の木があります。

 天平5年(733年)奈良朝の昔、聖武天皇の頼願により、奈良の都(平城京)の東北鬼門を守る国家鎮護の祈願寺として東大寺初代別当良弁僧正が開基しました。
 その後、弘仁6年(815年)嵯峨天皇の勅願を受けて興福寺伝灯大法師願安により、大伽藍が建立され、大菩堤寺と称しました。8世紀中ごろまでに近江25別院を総括し、法相宗興福寺の山岳仏教道場でもありました。(興福寺官務牒疏)

 天長10年(833年)仁明天皇により鎮護国家の僧侶を育成する官寺である「定額寺(じょうがくじ)」に列せられました。
 その折の勅願の題字が、金光明最勝王経の金勝陀羅尼品の「金勝」であり、金勝山金勝寺と改称されました。
 寛永9年(897年)宇多天皇は、国費支給による学業僧である年分度者(ねんぶんどしゃ)二人を金勝寺で六年間、山を降りず専修することを認可されました(大政管府)

 文治元年(1185年)11月15日、金勝寺は失火し、時の住職正心上人が再興し、大講堂・常行堂・法華堂・二月堂が建立されたと「金勝寺大菩堤寺流記」に記されており、平安時代後期に天台宗に転宗していたと言われています。
 その後、江戸時代に至る間、金勝寺は歴代の天皇、武家将軍から、論旨、下知状、朱印状を賜り、保護され仏供田三十石を領していました。
 天文十八年(1549年)の大火により、諸堂悉く焼失したため、後奈良天皇は再建の論旨を下され、慶長十四年(1599年)住職竜王院清賢法印は、徳川家康に請願したが、再建までに至りませんでした。
 現在の本堂・二月堂は、約4百年前の仮堂であり、排水を考えた山型配石の参道の石垣は、延宝二年(1674年)に修復されたものです。また大講堂跡、三重塔跡は左高台に残っています。

 金勝寺からさらに琵琶湖側へ進むと(約1.5km程)右手に栗東トレーニングセンター(JRA)が見えてきます。その反対側に馬頭観音堂が少し山手に見えます。

 毎年1月に耐寒アベックマラソンが 金勝小学校から金勝寺(金勝寺山)迄、開催されています。 また、湖南アルプスのハイキングコースでもあり春から秋まで 景色も優れています。 

                                    2020年 2月
                                投稿者 栗東市 清水 隆雄さん

 

 

 

 

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