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第165回歩こう会報告20201031

静岡支部は2020年4月以降、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、同好会活動の開催を中止されています。そんな中、歩こう会は屋外活動であり、感染する可能性はうすいと判断し、10月以降は開催することに決まりました。

なお、参加案内書に注意として ➀ マスクの着用! ➁ 手洗いの励行! ➂ 列車内では大声でお喋りを慎む! の3項目を厳守して下さい。の内容を追記し、地区定例会などで参加者を募りました。

2020年度から歩こう会は、会長に山口 孝さん(西部西) 副会長に菅沼利之さん(西部西) 顧問は幸岡満寿夫さん(西部東)の新体制になりました。

新体制に変更後、最初の歩こう会は ~ 湖西市!源 頼朝の愛した新居町を散策 ~ と銘打って、東海道線の新居町駅を起点に、湖西市新居町内に点在する源 頼朝にまつわる史跡をめぐる、約 7kmのウォーキングです。

◇ 秋晴れに恵まれた10月31日(土)の朝、JR新居駅南口に15名が集合。相互の挨拶を交わしたのち、駅前広場へ移動。最初に、2019年度は年間7回開催しましたが、皆勤された方、4名(阪東次郎さん、菅沼利之さん、風間千津子さん、小林孝江さん)に2004年4月 ~ 2020年3月までの16年間、静岡支部歩こう会のお世話役をされた野神良明さんから記念品を贈呈されました。

その後、新会長・山口 孝さんの挨拶、コース説明、白石支部長から支部情報の説明を聞いたのち、遠州新居手筒花火のモニュメントを背景に集合写真を撮り、最初の立寄り先である、新居関所へ向け出発。

■ コース順路・見どころ 〖 昼食場所・・・親水公園 〗
新居町駅南口 →駅前広場 →新居関所 →旅籠紀伊国屋資料館 →源太ノ山 →コンビニ店→若宮八幡宮 →愛宕山(頼朝の歌碑)→紅葉寺跡 →市弥島神社 →浜名橋跡 →風炉の井→女屋跡 →親水公園 →藤原定家の歌碑 →新柏公園 →コンビニ店 →新居文化公園 →駅前広場 →新居町駅(南口) 《ゴール / 解散》

◆ 遠州新居の手筒花火は、遠く江戸貞享年間(1684 ~1638)には既に諏訪神社の祭礼で行なわれていました。手筒花火の作成は竹切りから製粉(黒色火薬)詰めまで全て地元の人たちの手で行なわれ、伝統の技術やお囃子などが受け継がれています。笛、太鼓、ほら貝が鳴り響くなか、一度に数十本の手筒花火が乱立する様は、他の地域では見ることのできない新居独持のものです。

JR新居町駅の駅舎(駅前広場より)

JR新居町駅前の湖西市案内板

新居町駅前広場(遠州新居手筒花火)

白石支部長のお話を聞く参加者

白石支部長のお話を聞く参加者

白石支部長のお話を聞く参加者

駅前広場での集合写真

駅前広場での集合写真

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇ 東海道線沿いに西へ約0.7km行くと新居関所に到着。コロナウイルス感染予防のためか人影はまばら。新居関所資料館の入場料は 1人 300円です。今回は入館せず、外側から眺めるだけに済ませました。

◆ 新居関所 / 幕府は江戸防衛のため全国53ヶ所に関所を設けた。新居関所は100年間、幕府直轄として警備が敷かれ、通行の際には各種手形が必要で、特に江戸へ下る女性は「入り女手形」が必要であった。元禄15年(1702)に三河吉田藩の管轄となり幕末に至っている。建物は安政2年(1855)のもので、日本で唯一現存する関所建造物で国特別史跡になっている。

新居関所の園内風景(東側より)

新居関所の園内風景(東側より)

新居関所の高札場

新居関所の大門

新居関所の高札場

 

 

 

 

 

◇ 新居関所から旧東海道を西へ少し行くと、旧東海道の旅籠・紀伊国屋が有り、新居宿へつながる。旅籠紀伊国屋は資料館になっており、入場料が必要です。

◆新居宿 / 新居宿は慶長5年(1600)には浜名湖入口近くの大元屋敷跡にあった。元禄12年(1699)の高波により中屋敷跡へ移転したが、その後宝永4年(1707)の大地震と津波で壊滅している。しかしわずか3ヶ月の突貫工事で現在地へ移転している。疋田弥五郎 (188坪)・飯田武兵衛(196坪)。疋田八郎兵衛(193坪)と3軒の本陣があり、各本陣には60 ~ 90もの御用達の藩や宮家。公家をもっていたといわれる。

◆旅籠紀伊国屋 / 主人は紀州の出身で、享保 元年(1716)に「紀伊国屋」の屋号を掲げ、敷内に紀州藩七里飛脚の役所をおいたこともあるという。

旅籠 紀伊国屋資料館

旅籠 紀伊国屋資料館

 

 

 

 

◆ 小松楼まちづくり交流館 / 新居では対象時代以降、関所の南側に歓楽街が広がり、多い時で60人から80人の芸者がいたと言われています。小松楼は大正から昭和20年代頃まで芸者置屋及び小料理屋を営みました。建物は明治末期以前のものを現在の地へ移築し、その後数回の増改築を行っています。2階は座敷となっており、独持の間取りやべんがら色の壁など当時の面影を残しています。平成22年9月1日から小松楼まちづくり交流館としてリニューアルオープンしました。

◇ 小松楼まちづくり交流館を横目に源太ノ山から湊神社へ向かった。湊神社前を通過してコンビニ店に立寄り、買い物・小休止後、新居小学校、新居幼稚園前から愛宕山の登り口に、鎮座する若宮八幡宮へ向かった。新居幼稚園前に源太ノ山の石碑と説明板があった。

小松楼まちづくり交流館

小松楼まちづくり交流館

源太ノ山へ向う参加者

源太ノ山へ向う参加者

道路より湊神社入り口

湊神社参道

湊神社

民家の遠州新居手筒煙火

源太ノ山石碑

源太ノ山説明板(立札)

若宮八幡宮参道

若宮八幡宮参道

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆ 愛宕山(頼朝の歌碑)/ 源頼朝が上洛の帰りの橋本で慈円に送った和歌の歌碑があります。展望台からは、浜名湖や太平洋が望めます。
◇ この日は昼食時間の関係で愛宕山には登らず、旧東海道を西へ。紅葉寺の参道前を通過旧東海道を離れて市弥島神社前から浜名川沿いに昼食場所の親水公園へ向かいました。

旧東海道棒鼻跡の石碑

市弥島神社境内

親水公園の標示柱

 

 

 

 

 

◆ 紅葉寺跡 / 正式名は本学時といい、源頼朝が宿泊した橋本の長者の娘が鎌倉に召された後に出家し、妙相と名乗り高野山より毘沙門天立像を勧請して建立した寺とされています。足利義教が富士歴覧の途中で、この寺に立寄り紅葉を称賛し、以来紅葉寺と呼ばれるようになりました。

◇ 親水公園では思い思いのベンチに腰掛け、弁当を広げて昼食のひと時を過しました。

親水公園で昼食休憩のひと時

親水公園で昼食休憩のひと時

親水公園で昼食休憩のひと時

親水公園で昼食休憩のひと時

親水公園で昼食休憩のひと時

親水公園で昼食休憩のひと時

親水公園で昼食休憩のひと時

親水公園で昼食後のひと時

親水公園で昼食後のひと時

親水公園で昼食後のひと時

親水公園で昼食後のひと時

親水公園で集合写真

親水公園で集合写真

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆ 女屋跡 / 源頼朝が上洛の際に多数の遊女が群参したことからこの名が付けられたと言われています。長者の娘妙相と頼朝の恋物語が残っています。

女屋跡の石碑

 

 

 

 

◆風炉の井 / 建久元年(1190) 源頼朝が上洛のおり、橋本宿に滞在したときに、長者の屋敷内にあった井戸で、この井戸の水を汲んで 茶の湯に用いたとされています。深さ2m、日径最大1.8mの石積井戸で、以前はもっと深かった。

風炉の井石碑

 

 

 

 

◇ 昼食休憩時間をゆっくり過ごした後、集合写真を撮り午後のウォーキングに出発。女屋跡、風炉の井に寄り道した後、再び親水公園に戻り、浜名川沿いに新柏公園で休憩後、新居文化公園を通過しゴールの新居駅・駅前広場に到着。お互いに労って次回の菊川市ウォークの参加を約束して解散しました。

藤原定家の歌碑

親水公園の遊歩道

二本松橋の橋柱

二本松橋から浜名川の景観

新柏公園の案内板

関門橋の橋柱

関門橋から浜名川釣り船の景観

関門橋から浜名川釣り船の景観

浜名川緑道を行く参加者

浜名川緑道を行く三人娘

 

 

 

 

 

 

 

 

《 コース案内・写真撮影 // 菅沼利之 山口 孝 幸岡満寿夫 》

次回は 第166回 2020年11月28日 (土) 開催予定!
~ 菊川市!深蒸し茶の里 河城と初冬の田園風景を訪ねて ~
東海道線 菊川駅 午前 9時30分 集合です !
歩行距離は 約7 kmの予定です。下見の結果で、若干のコース変更もあります。

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