自由投稿 山行報告 会津駒ヶ岳

山行報告 会津駒ヶ岳(2133m日本百名山)

作成日:2022年8月5日
富田丘町: T.S

尾瀬国立公園の北の端に位置する会津駒ヶ岳。尾瀬の山と言えば燧ケ岳(ひうちがだけ)と至仏山(しぶつさん)の方を先に思い浮かべるが、燧ケ岳や至仏山とはまったく違い山頂付近一帯は開放感あふれる天空の公園であった。
会津駒ヶ岳の麓の桧枝岐村には昨年もお邪魔した。この時は燧ケ岳と至仏山に登るためであった。そして今回も昨年と同じ旅館「かぎや旅館」に前泊した。この宿は日本秘湯百選にも選ばれている宿で山の幸を色々にアレンジして味わわせてくれる。また岩魚の塩焼きだけでなく結構大ぶりの岩魚の刺身に加えて岩魚の骨酒も堪能させてもらえた。
例により、朝食は弁当にしてもらい宿で食事を済ませた。昨年は尾瀬ヶ原を縦断する形の山行であったため路線バスを利用し桧枝岐村入りをしたが、今回はレンタカー利用のため、バス停からさらに奥の林道終点の登山口まで直接入ることができる。途中にも駐車スペースはあるが林道終点には20台程の駐車スペースがある。4:45頃に着いたが2台程の先着があるのみだった。トイレはバス停を降りて林道に入ってすぐのところにしかないので気をつけたい。
駐車場を5:00ちょうどにスタート。アスファルトの林道を100m程進むと登山口があり取り付けのしっかりとした階段から登り始める。道は樹林帯の急な登りで木の根っこが多いが程よく段差をつけてくれているので見た目よりは歩きやすい。しかも道幅も広く人とすれ違うのにも十分だ。40分ほど登ると道は少し緩やかになり、ブナの大木が林立する中を1時間40分程で水場のあるベンチに着く。水場があるといってもこの場から脇道を少し下っていくようだ。今まで広かった道も狭くなりクマザサで覆われてくるようになる。そのうちに樹林の隙間から山頂らしき展望が望めるようになり、連続した木道になるとすぐに休憩ベンチに着く。ここからは目の前に山頂が望め駒ノ小屋も確認でき、しばらくの休憩を取る。

休憩ベンチを過ぎると森林限界を超え緑の絨毯地帯に入り込む。見上げると駒ノ小屋の2つの建物が可愛らしく並び立ち、まるでスタジオジプリのアニメの世界に入り込んだ景色だ。駒大池には8:50に到着。駒ノ小屋自体は一段高いところに立っているため駒大池の横のベンチで一息いれる。ここからは会津駒ヶ岳は勿論、遮るもののない開放感あふれる天上の景色に酔いしれる。
山頂へは、金属の滑り止めが施された新しい木道が2 列に整備されている。山頂直下からは急な木の階段になるが朽ちた箇所が多く注意深く登っていき9:20 に山頂にたどり着いた。山頂の周囲はガスのため眺望はなかったが、山頂付近全体の空中庭園のすばらしさに感動を味わい十分満足できる山行となった。

実は、会津駒ヶ岳に登る前に8 月2 日から4 日の予定で飯豊山(いいでさん、新潟と山形の県境の山)に挑戦した。予定では大日杉小屋からのピストンで2 日に切合小屋泊、3 日に飯豊山登頂後切合小屋に連泊、4 日下山であった。天気予報でも3 日からは崩れるとの予報であった。しかし天気はわからないもの、2 日はいい天気であったので切合小屋まで登ることに。翌3 日の朝の天気予報では、午後から翌日にかけては激しい雨になりそうとの予報。この日小屋に留まっても4 日に登頂する選択肢はないため、この日に登頂するか下山するかの選択肢しかなく、結局登頂は断念し下山をすることに。下山中に激しい雨に見舞われ全身びしょ濡れで下山する羽目に。大日杉小屋の横には小さな小川があり登る時はちょろちょろの清流だったが、下山した時には激しい濁流になっていた。下山後この日の宿を決めなければならなかったが、車中で米沢に宿を取るか会津若松に宿を取るかで迷ったが結局は次の目的地に近い会津若松に宿を取ることに。宿に着いてから新潟県と山形県に線状降雨帯が発生し特別警戒警報が発令されているとの詳しい天候状況を知った。翌4 日のニュースで米沢ではいたるところで冠水、途中通った喜多方ではJR 線の鉄橋の橋脚が陥没とのニュースに接した。一方、桧枝岐村を流れる伊南川は増水の模様もなく清流そのもの、会津若松に宿を求めてよかったと胸をなでおろすしだいだった。
◆メンバー:K、F、S
◆コース:滝沢口林道終点5:00~水場~休憩ベンチ~駒大池(駒ノ小屋)~会津駒ヶ岳9:20~駒大池(駒ノ小屋)~滝沢口林道終点13:00
◆所要時間/歩行時間:8時間00分/6時間25分

 

コメント

  • コメント (1)

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    • 長谷川 輝幸
    • 2022年 10月 09日

    会津駒ケ岳、山行の投稿を読ませて戴きました。僕は山にはあまり興味が無かったのですが、中年40才頃になった時、富士山には登ってみたいと思っていました。 しかし,その頃、ちょっとした事故により右股関節を痛めてしまいました。 その後も脚は治らず、いまに至り、その夢は果たせずじまいです。

    山といえば山岳小説作家、新田次郎の孤高の人や、八甲田山死の彷徨、等を思い出します。

    そんな訳で山には登れませんが、投稿を読ませて戴き、グーグルや地図で確認しながら山への思いを馳せています。

    有難うございます。                                      
                                           長谷川 輝幸

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