行ってきました!親子三世代の旅in静岡(自由投稿)

投稿者:那須烏山市 篠﨑 信子

今年初の旅は(標高3,776mの日本一高い富士山と最深2,500mの日本一深い湾を有しており、その高低差は6,000m以上ある)静岡県へ行ってきました。今回の旅のテーマは、世界遺産や国宝巡り、そして(毎度のことながら)温泉と旨い魚を食することです。

初日のスケジュールは、
久能山東照宮~沼津港にて昼食~沼津港深海水族館~土肥温泉

まず最初に徳川家康公をお祀りする最初の神社「久能山東照宮」へ行きました。
ここへ行くためには、1159段の石段を登り風光明媚な景観を見ることも出来ますが、
体力に自信がない私達は籠のような形をしたロープウェイに乗って行きました。
1月8日(日)から放映されたNHKの大河ドラマ「どうする家康」のゆかりの地ということで
あちらこちらでPRされており賑わいを見せていました。

次は沼津港へ行き、かねてより旅行雑誌で紹介されていた店で昼食をとりました。新鮮で安くて旨い海の幸を堪能しました。

昼食後は、静岡県には最深部2,500mという日本一深い湾「駿河湾」があるのでその特性を生かし深海生物が展示されている深海をテーマにした「沼津港深海水族館」に行きました。  その後、子供から大人まで楽しく遊べる、ライド型の深海シューティングアトラクションができる「港八十三番地 ディープシーワールド 深海王国」に行き、2人乗りの探査ポッドで深海シューティングアトラクションレーザー銃を手に深海生物や古代生物の捕獲探査をして楽しんできました。遊び疲れた後は、地ビールや地酒を買い込み一路「土肥温泉」へ!

2日目のスケジュールは、

土肥金山~伊豆極楽苑~韮山反射炉~富士山本宮浅間大社

土肥温泉の宿泊場所をチェックアウトして20分位の所にある「土肥金山」へ行きました。    土肥金山は、江戸時代に第一期黄金時代、明治時代から昭和にかけて第二期黄金時代を迎え、佐渡金山に次ぐ生産量を誇った伊豆最大の金山で、昭和40年の閉山まで金40トン、銀400トンを産出し、掘削坑道の総延長は100km、地下190mにも及んだそうです。この一部を整備して江戸時代の採掘の様子を電動人形で再現されています。又、坑道出口に土肥金山の歴史と金山に関する資料を展示する「黄金の館」があり250kgの世界一巨大金塊などが公開されており、見て触る実感体験ができました。

次に「伊豆極楽苑」へ行きました。伊豆極楽苑は天城にある“あの世を観光する施設”です。死後に行くのはどんなところか…ということがわかる場所、地獄と極楽のテーマパークです。といっても、臨死体験をするわけではありません。何でも、仏教の修行をしていたこのテーマパークのご主人が「子供でもわかりやすいように仏の教えを伝えたい」という思いから36年前にオープンしたとのことです。ほとんどの人が見たことのないあの世をジオラマでわかりやすく展示、解説されています。テレビでも何度か放映されたことがあり多くの芸能人の写真が掲載されていました。

次は、世界遺産の「韮山反射炉」へ行きました。「韮山反射炉」とは幕末期、欧米諸国の開国要請に対抗して日本(江戸)を守るために、韮山代官であった江川太郎左衛門英龍が、幕府に進言して築いた金属溶解炉。品川沖に作られたお台場(砲台)に据えるための大砲を鋳造するもので、安政4年(1857年)に完成し、元治元年(1864年)の使用中止までに大小の大砲数十門を鋳造したそうです。実際に大砲を鋳造し、炉体と煙突が、完全な形で現存している日本唯一の反射炉で、国指定史跡であるほか、世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産とのことです。

そして観光の最後は「富士山本宮浅間大社」へ行きました。

浅間大社は全国に祀られた1300余の浅間神社の総本宮と称されています。第7代 孝霊天皇の時代に富士山の大噴火が起こり、周辺住民は離散し荒れ果てた状態が長期に及んだとあります。第11代 垂仁天皇はこれを憂い、浅間大神を山足の地に祀り山霊を鎮められ、その後は噴火が静まり平穏な日々が送れるようになったと伝えられています。それが浅間大社の起源とされているそうです。

何か所かサービスエリアに立ち寄りましたが、その中でも“地中海の港町を彷彿させる外観”の「駿河湾沼津サービスエリア」が印象的でしたのご紹介します。

静岡の旅はあっという間に過ぎてしまいました。毎回、子供から私達お年寄りまで楽しめる旅を企画してくれた娘達に感謝し旅を終了致します。次回を楽しみに頑張っていきたいと思います。

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