第1回 健康さん紹介  白寿を迎えられた平野玄司さん

第1回目の「健康さん紹介」は、平野さん。今年(2022年)1月に99歳、白寿を迎えられました。
松愛会でも本当に数少ない長寿の方です。
お生まれは大正12年ですから昭和、平成、令和と4世代を生きてきました。愛知県の蒲郡のお生まれで海の近くで育ちました。
小さい頃から大きな病気はなく、健やかに過ごされました。学校の剣道の先生がよく面倒を見てくれてまた絵が好きな方で、平野さんが会社に勤めていたころたまに竹刀を振っていたのはその先生の教えでしょう。
そして50歳ころから絵を習い書き出したのもその影響です。

 現在平野さんは3年半前から奥様と一緒に自宅近くの施設に入っています。コロナもあり家族以外はお会いできないので、近くに住んでいる長女の松林さんにお話を聞きました。
質問「今、平野さんはどんな生活でしょうか?」
松林さん「足が弱り車いす生活ですが、食事も自分でし、穏やかに過ごしてます。好きなハモニカで『月の砂漠』を吹いていたそうです。先ごろも車いすで桜見物をして『桜の花はやっぱりきれいだなー』と言ってました」
質問「平野さんの健康法は何でしょうか?」
松林さん「特にこれと言ってなかったような気がします。食べ物は好き嫌いなく母の作るものを普通に食べてました。また運動も特にやってなかったですね。
お酒,タバコは好きでありませんでした。」
質問「お仕事の関係で転勤などはなかったですか?」
松林さん「ありませんでした。仕事で特に遅くなることもなく、規則正しい、ま、ごく平凡な毎日ではなかったでしょうか」
質問「定年後はどんな風に過ごされていましたか?
松林さん「以前から自分でできる仕事をしたいと言ってました。それで社会保険労務士の資格を取って85歳まで頼まれた仕事をしてました。依頼の方のところに当時はほぼ毎日出かけたりしてましたね。」
質問「絵を描くことを趣味にしていたそうですが・・・」
松林さん「50歳くらいから絵の教室で習い、最近までずーっと続けてましたね。よく小さな旅をして気に入った花や風景をスケッチしそれを大きな絵にしてました。できると甥や姪たちにやってました。」
平野さんんの奥様は現在98歳になり、ご夫婦で施設に入り穏やかに過ごしているとのことです。奥様は山登りや合唱が好きで、まだ足が丈夫な頃はお二人で白馬岳など山登りをしていたそうです。そして合唱好きは松林さんも引継ぎ、ご主人の合唱グループを手伝い、そのコンサートには平野さんご夫婦も
楽しみにしてきてくれていたそうです。
コロナ前のお正月、親戚みんな16名が集まり、施設の部屋を借りて、新年の集まりをしました。
大きな病気もなく、家族も健やかに、平凡ですが普通の生活を続けられたことは父母にはよかったことでしょうと、松林さんは言われていました。
*本記事は「お江戸松愛」2022年7月号に掲載された記事を編集したものです。
*平野様は去る5月25日に永眠されましたが、ご遺族様のご意向でそのまま掲載させていただきました。
 こころよりご冥福をお祈り申し上げます。
(リポーター:鶴若、佐藤)

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