三蟠軽便鉄道

💐 三蟠港と岡山市街を結んだ 三蟠軽便鉄道💐

三蟠軽便鉄道のことが山陽新聞に載っていた(友人が切り抜きを送ってくれた)ので三蟠駅跡に自転車で行ってみました。(山陽新聞の記事はこちら)

三蟠軽便鉄道は、大正から昭和にかけて、旭川(岡山市)に沿って走っていた鉄道です。
運行区間は三蟠から桜橋、のちに延長されて国清寺までの約7Km。
運行時期は大正4年(1915)から昭和6年(1931)の16年間
駅名は、三蟠ーー浜中ーー宮道ーー平井下ーー平井上ーー湊ーー桜橋ーー網浜ーー国清寺
終点の国清寺で、岡山電気軌道(路面電車)に乗り換え、岡山駅方面に向かうことができました。

三蟠港は岡山の外港として、長い間、岡山の玄関口の役割を果たしていました。
市街に近い港としては京橋(県庁の南)に港がありましたが、旭川は水深が浅く大きな船は航行できなく、大型船の荷物は小型船に積み替えるか、陸路に変えて運搬していたそうです。
その陸路の担い手として開通したのが三蟠軽便鉄道ですが、四国への窓口が三蟠港から宇野港に代わったことなどで三蟠港の衰退とともに三蟠軽便鉄道も利用がへり、経営不振でわずか16年で廃業となってしまいました。
ということで、幻の軽便鉄道とも呼ばれています。

三蟠駅跡

三蟠駅、現在は釣り道具店となっています。
また、三蟠鉄道資料館としても活用されています。

三蟠港跡

三蟠駅と三蟠港は接していました。
現在、三蟠港は波止場の一部が残っているだけですが、波止場は「ママカリ」の釣り場として人気の場所です。

明治天皇上陸の地

三蟠駅跡のすぐ南側には明治天皇上陸記念碑が建てられています。
1885年(明治18)西日本を巡行中の明治天皇が岡山の地に初めて上陸されたのは、ここ三蟠港でした。
ここで休憩の後、馬車に乗り換え、宿泊地の後楽園(延養亭)に向かわれたそうです。

隣の駅、浜中駅跡

ついでに、隣の浜中駅跡に行ってみました。


軌道跡は一部が道路として残ってるのみで、大半は痕跡が残っていませんが、
各駅の後地には駅名が当時のものと同じように復元され表示されています。


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