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終活ウオーキング

徳島分会  矢達 稔

私は本年で日本人男性の平均寿命をクリアーしたのをきっかけに、そろそろ終活を始めようと考え、その一環として終活ウオーキングを企画しました。

前回は吉野川に沿って徳島県を縦断したので、今回は海岸線に沿って徳島県を横断することにしました。

海岸線は入江や岬があり、また川に出合うと橋のあるところまで遡上しなければならないし、道路が行き止まりになるなどアクシデントが発生する場合もあり、国道を歩くよりかなり困難を伴うと思われるが、あえて挑戦します。

香川県との県境から出発し、高知県の甲浦までのコースであったが、途中で新型コロナウイルスの関係で外出禁止措置等が発せられ苦労したが、延べ11日で達成できました。


【第1日】
2019.10.31 JR高徳線讃岐相生駅~鳴門公園

歩数 54,471歩

不気味な夜明けであったが、日中は好天気に恵まれ、順調なスタートを切った。

静かな瀬戸内海を眺めながら、北灘の海岸線を一路鳴門へ向かってウオーキング。途中で鮮魚レストラン「びんびや」で腹ごしらえをし、いよいよ鳴門の市街地へ、ところが国道はJR鳴門駅へ行かないので、途中で左折をしたら道を誤って自動車専用道路「鳴門スカイライン」へ入ってしまった。随分歩いたらところで気が付いたが、もう引き返す気にはなれず、予定外の島田島、大毛島をめぐり鳴門公園へと大回りをした。

しかし怪我の功名というか、お陰で海岸線を満喫した。


【第2日】
2019.11.20 JR鳴門駅~十郎兵屋敷

歩数 61,465歩

JR鳴門駅を出発し岡崎海岸へ。

私が子どもの頃の岡崎海岸は海水浴場で、きれいな松並木と砂浜が続いていたが、現在は岩が露出し、防波堤が築かれていて様変わりしていた。

ここから海岸線は里浦へ向かう。里浦は砂地を利用して鳴門金時

(さつま芋)の産地である。徳島県の特産品の一つになっている。

里浦の先には「阿波踊り空港」があり、滑走路が海に突き出しているので大回りになるのかな? と思ったら、滑走路の下にトンネルがあった。

このルートには大きな川(旧吉野川、今切川)があり、河口に橋がないので、橋があるところまで遡上しなければならず、時間と体力のロスとなり徳島市に辿り着けなかった。

ジャストシステム…パソコンソフト「一太郎や花子」の開発で一躍有名になったが、夫婦で始めた企業も今では立派な会社になっている。

日経新聞「私の履歴書」で2022.04.01より連載

阿波十郎兵衛屋敷…人形浄瑠璃の「傾城阿波鳴門」で知られる板東十郎兵衛の屋敷跡。


【第3日】
2019.11.30 十郎兵屋敷~徳島市~小松島市

歩数 56,202歩

十郎兵屋敷を出発し日本三大河川「四国三郎」(吉野川)を渡り徳島市へと入った。徳島市の海岸「沖洲」は吉野川の養分でハマグリやバカガイが繫殖し、たくさん採れたが現在は埋め立てをして工業団地となってしまった。

オーシャンフェリーの乗り場で新町川に出会うが、徳島市の中心部にもかかわらず橋が無いので延々と県庁の所まで遡上してやっと対岸に渡った。

津田は昔の漁村で戦前の古い建物が点在する静かな町であった。

次に小松島市に入るが、ここは以前関西方面への玄関口で、小松島港から客船や貨物船が出ていたが、大鳴門橋の完成に伴い海運業者は廃業し、現在は公園になっている。

今回はJR牟岐線赤石駅で終了する。

―不覚にも写真を消去してしまい今回は写真がありません。


【第4日】
2020.04.07 JR赤石駅~阿南市

歩数 57,436歩

小松島市JR赤石駅から阿南市へ向かいます。海岸線は和田島経由となります。

和田島の先端和田ノ鼻には海上自衛隊小松島航空隊があります。戦時中は紀伊水道を護衛した海軍の基地です。

和田島は「ちりめんじゃこ」の産地ですが、時間帯が悪かったのか店が開いていなかった。土産に買おうと思ったのに残念。

しばらく進むとワカメの収穫風景に出会いました。船で収穫したワカメを陸揚げし、浴槽のような大きな釜で湯通しすると、茶色いワカメが鮮やかな緑色に変身しました。

和田島方面では温暖な気候を利用して、はや田植が行われていました。台風シーズンの前に刈り取って、早場米として出荷されます。

那賀川町出島には野鳥園があり、ほとんど人手を加えない自然のままの広大な野鳥園があります。

いよいよ那賀川を渡ると阿南市に入ります。阿南市には徳島県を代表する企業「日亜化学工業」があります。今回は辰巳工業団地にある工場に出会いましたが、本社とはかなり離れており、本社へは後日行くことにしました。

那賀川に架かっているJR牟岐線の鉄橋は列車と歩行者が渡れるめずらしい橋です。この鉄橋は戦時中アメリア軍の戦闘機の機銃掃射を受けて、いたるところに弾痕が残っており、「銃弾に耐えた橋」として有名になっていることを後日知りました。

今日は阿南市役所を横目に見て、JR阿南駅で終わります。

阿南駅は市の中心にある駅にもかかわらず、乗車券の自動販売機さえありません。何たることか!


【第5日】
2020.04.15 JR阿南駅~日亜化学工業本社~橘湾

歩数 57,655歩

今回は先ずは前回行けなかった「日亜化学工業」の本社を目指します。

その前に駅の近くに「富岡西高校」がありました。スポ-ツの強豪校です。

日亜化学工業は駅から遠く、往復で2時間半かかりました。通勤はどうしているのだろうか。

郊外にある本社に辿り着きましたが、さすがに徳島を代表する企業らしく、立派な本社と工場群がありました。

LEDを生産しており徳島がLEDの街として一躍有名になりました。

一度阿南駅に帰り、海岸線を目指して再出発しました。

駅から海岸線まで立派な直線道路があり、途中に公園があったので

昼食を取りましたが、田んぼの真ん中にある公園を誰が利用するのかな?

道路の突き当たりには「大王製紙」があり、大きな煙突がそびえていました。

大王製紙の工場を迂回して海岸に出ると、そこは「淡島海岸」で室戸阿南海岸国定公園になっていました。

ここは橘湾で、地元の人は「徳島の松島」と言って自慢の景勝地です。海には島が点在し、防波堤の上はサイクリングロードになっています。

さらに進むと淡島海水浴場では気の早い若者がサーフィンやビーチバレーに興じていました。

次に煙突が聳えているのは阿南火力発電所です。徳島へ電気を供給してきたが、効率が悪くなり現在は休止しています。

今日は福井駅を目指していたが、右足の裏に大きな水疱が出来、裂けると歩けなくなるので、より近い新野駅に向かった。

ところが新野駅は山越えになっており、右足をかばってびっこをひきながらの上り坂は大変きついものがあった。

ようやく平地に出たが駅が分からないので、コンビニにより新野駅(しんのえき)はどちらですかと聞いたら、店員は怪訝な顔をしていた。そうしたら私の後ろに並んでいた職人風のおじさんが「あほか!しんのや言う駅あるか!あらたのと言うんじゃ」と言われ、徳島県人として大恥をかいた。

やっとの思いで辿りついた新野駅で、先ほどコンビニで買った缶ビールを飲みながら列車を待って、何とか我が家へ辿り着くことができた。


【第6日】
2020.06.08 新野駅より椿泊岬を目指す。

歩数 64,392歩

新野駅を出発し、前回来た道を国道まで引き返す。

橘湾に辿り着いた所に新橘火力発電所が見えてくる。最新の設備だと言うが、脱炭素社会の中、今後どうなるのか心配だ。

橘湾の景色を眺めながら進むと、いよいよ椿泊となる。椿泊りには明治初期まで「阿波水軍」の基地があり、蜂須賀藩の船運全てを取り仕切っていた。

岬の先端へ行くには北側と南側に道路があり、往路は北側にして、復路は南側にした。

北側は崖がそのまま海に入っているので全く平地がなく、民家もない。左側に海か見えるはずだが、木が生い茂っているため眺望はきかない。しかし木の葉が強い太陽の光を遮って、木漏れ日の中を快適にウオーキングできた。

しばらく行った時、軽四輪に乗った“おばさま”がやつてきて、乗せてあげようかと声をかけてくれた。しかし私はウオーキングをしておりますのでと丁寧に言ってお断りした。たぶんひとけもないこんな道を高齢者が歩いているので心配をしてくれたのだと思う。

阿南国際海洋センターのところで北側の道は終わり、峠を超えて南側の道に合流する。

合流地点に民宿「つばき壮」があり、ここで海賊料理を食べようと思っていたのに、昼に辿り着けなかった。残念!

さらに前進すると阿波水軍森一族の墓地があった。立派な五輪塔の墓標が沢山あり、当時の繫栄ぶりが窺がわれる。

更に岬の先端へ行くと椿泊小学校がある。松鶴城の跡地に建てられているが、ここにはバスも通っておらず、どうやって通学しているのだろうか? 狭い岬なのでここしか平地が無かったのだろう。

岬の最先端には苔むした古い不動明王が祀られていた。もしかして阿波水軍の守護神だったのかな?

帰りは南側を通ったが、海岸沿いの狭い場所に民家がひしめき合っていた。余計な心配だが、津波が来たら全滅してしまうのでは!

阿波福井駅は海岸からかなり離れた所にあり、疲れた足で歩けどあるけど到着しない。そのうちに両足の裏に大きな水疱が出来、裂けると歩けなくなるので祈る思いでやっと辿り着いた。

リュックからチューハイのロング缶を取り出し1人でカンパイ。

 


【第7日】
2020.07.31 JR福井駅より蒲生田岬先端を目指す

歩数 52,816歩

前回挑戦した椿泊岬と並んで突き出した、四国最東端の蒲生田岬を目指します。

この岬は海岸線に平地がなく、ほとんど人が住んでいなが、観光地として道路は整備されていた。

今回も駅から海まで随分と距離があり、1時間以上歩いてやっと椿泊との分岐点に辿り着いた。

岬の道は海がよく眺められ、快適なウオーキングとなった。

途中の公園で作業をしているおばさんに会ったので、道を尋ねたら「トンネルをくぐるとすぐだよ」と教わったが、なんの何の、遠い遠い、田舎のおばさんの「すぐだよ」は当てにならない。

岬の最先端には色々なモニュメントがあり、記念撮影をした。

海岸を眺めると見覚えがある、たしか何十年か前、弟の案内で息子たちとこの荒磯で泳いだことがある。貝を取ってバーベキューをしたことを思い出した。

帰り道は朝と重複するので椿泊との分岐点「横尾」からバスに乗ることにした。ところが待ち時間が1時間、リュックから例のチューハイのロング缶を取出し、カロリーメイトをおつまみにして道端で

時間待ち。やっとバスが来たのでJR橘駅に向かったら今度は汽車の時間が1時間待ち。自販機で缶ビールのロング缶を買って駅の待合室で1人で宴会。これだから田舎の公共交通機関は敬遠されるのだ。


【第8日】
2020.10.02 伊座利・阿部(あぶ)を経由してJR由岐駅へ

JR阿波福井駅からJR由岐駅までは一駅だが、海岸線を辿るためには伊座利・阿部を経由しなければならない。

前回歩いた道をショートカットするために、阿波橘駅からバスで移動して「働働」からスタートした。

伊座利は海に面した入江にあり、急峻な山にさえぎられており、陸の孤島と言われていた。街へ出るには伊座って山を越えたため、この地名になったとか。

その後に自衛隊が道路を付けて、やっと車が入れるようになった。

自動車道をくねくねと登り、ようやく伊座利峠に到達した。

海側へ下ると小学校があった。こんな小さな漁村に小学生がいるのだろうか?

海岸へ出ると小さな漁港があり、数隻の漁船が係留されていた。

由岐へは海岸線が崖になっており、海を眺めながらのウオーキングとなった。

JR由岐駅は地域の商業施設の中にあり、相乗効果を狙ったのか。


【第9日】
2020.10.25 JR由岐駅から日和佐を目指す

歩数 34,478歩

日和佐は漁業に加え、ウミガメの産卵地としても有名であり、また四国霊場23番の薬師寺があり、巡礼者で賑わっている。

この辺は南海地震による大津波が想定される地域のため、役場の屋上も避難場所になっている。

田井ノ浜…時刻表に無い駅があり、夏場の海水浴シーズンのみ列車が臨時停車する。プラットフォームから直接海水浴場になっていて、何十年か前に息子と泳ぎにきたことがある。

国道から離れて山道を進むと「えびす洞」と言う標識があった。

海蝕で出来た洞窟らしいので、見学することにしたが、高い崖から急な階段で海岸まで降りていくようになっており、途中で身の危険を感じて、引き返した。後日人に聞くとあそこは後期高齢者が行くところではないと言われた。残念!

日和佐には昼に到着したので、午後からあちこち見学することにした。

大浜海岸…日本の磯百選になっており、ウミガメの産卵地として有名

ウミガメ博物館…大きなウミガメが飼育されている。

薬師寺…徳島県の最後の霊場として、多くの参拝者が訪れる。

日和佐城…小高い山の上にあり、よく目立つが歴史的建造物ではなく観光目的に造られたらしい(工事中で見学出来なかった)


【第10日】
2020.11.24 日和佐から牟岐へ

歩数 44,724歩

このコースはJRも国道も海岸から離れた山中を通っているので、私は海に近い「四国のみち」を行くことにした。

小高い山の上にある日和佐城からスタートし、四国のみちを歩いたつもりが、標識を見落として山を一周して元に戻ってしまった。

気を取り直して再挑戦、こんどはうまくコースに入れた。

このコースは千羽海崖と言うリアス海岸になっており、うみの眺望を楽しみながらのウオーキングのはず。

途中に第二次世界大戦の際に米軍機が投下した爆弾の跡があった。

日和佐を狙ったのが外れたらしい。

山道をルンルン気分で歩いていると、急な階段状の上り坂となった。やっとの思いで登りきると、こんどは急な下り坂。

どこまでも続くアップダウンを這うようにして進んだが、ついに足が上がらなくなった。こんな山の中、全く人通りもなく、携帯電話も通じない。一瞬私の人生もこれまでか! と思ったが、まだ遺影の撮影もしてないし、エンディングノートも書いていない。このまま人生を終わるわけにはいかないと思いヨロヨロと歩いていると「南阿波サンライン」への連絡口への案内標識があった。

地獄で仏とはこのことか、舗装道路に出れば何とか助かる。

ところが「四国のみち」は山の尾根にあり、この自動車道は山の中腹を通っている。海に面した急な階段状の下り坂を一歩一歩慎重に降りて、やっと舗装道路に辿り着き、これで助かったと思った瞬間両足の太ももが痙攣をおこし、道端に倒れてしまった。

この道路は観光目的に作られており、日和佐から入ると牟岐まで約25㎞出口がない。従って走っている車はスポーツカーや大型2輪

ばかり、手を上げても止まってくれない。

しかたがないので牟岐まで約20㎞足を引きずりながら歩いた。

途中眺望の良い所は展望台になっているが、とても海を眺めている気分には慣れない。

そのうち夕暮れが迫り、展望台の人影がシルエットのようになり、ついに日没となった。

四国は西方が山に囲まれているので、夕日は山の彼方へと沈んでいった。

JR牟岐駅に着いた時にはすっかり夜になっていたが、ホームには始発列車が止まっていた。

例によりリュックから酎ハイのロング缶を取出し、静かに反省をしながら、我が家に辿り着いた。

こんな厳しいコースを「四国のみち」にして良いのか?

私のような事情を知らない高齢者が迷い込むと遭難するのでは!

機会があれば日和佐(現在は美波町)の役場へ意見具申したいと思います。


【第11日】
2020.11.24 JR牟岐駅より高知県東陽町甲浦へ

歩数 42,863歩

終活ウオーキングも今日が最終日となった。

牟岐町から先は海と山が接近しているので、国道55線しかなく、順調にウオーク、徳島県の最南端「宍喰」止まりになるかと思ったが、高知県の「甲浦」まで足を延ばせた。

JR牟岐線は海部駅までで、そこから先は第三セクター阿佐海岸鉄道となる。

海を眺めながら国道を前進し、徳島県の最南端、宍喰トンネルを抜けると高知県に入った。

間もなく阿佐海岸鉄道の終着駅「甲浦駅」に到着し、無事に全行程を達成したので、帰りの列車に乗ろうとしたら、カウントダウンの標識があり、あと6日となっていた。

乗客のほとんどが列車マニアで、カメラを構えてさかんにシャッターを切っていた。

また車内には小学生が書いたお別れメッセージや、感謝の言葉が所狭しと張り出されていた。

後継車は「DMV」デュアル・モード・ビークルで、線路と道路の両方を走ることができます。

この車輌での営業運転は世界初と言うことで、観光資源として大きな期待をされています。

2021年12月25日より営業開始したが、新型コロナウイルスの第6波と重なり、予約のキャンセルが続出、地元の期待を裏切りました。早くコロナが終息することを祈ります。

最後に心残りはコロナが終息すれば、DMVに乗り海賊料理を食べることです。

これで終活の一つは完了したが、まだまだ課題があり、なかなか人生を終わることが出来ません。

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