歴史探訪(奈良県:広陵町、葛城市、大和高田市、御所市)

 ホームページ担当の鷲見です。
 山本さんの歴史探訪シリーズ、今回は近場の紹介です。皆様も気軽に訪ねられてはいかがでしょう。
 それでは、山本さんの投稿記事をご紹介します。


1. 百済寺くだらじ

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奈良県広陵町百済1168
 
■ 寺は三重塔と小さな本堂を残すのみで、隣接する春日若宮神社によって管理されている。 伝承によれば、この寺は聖徳太子建立の熊凝精舎を引き継いだ百済大寺の故地であるという。百済大寺とは、7世紀前半に創建された官寺で、再度の移転・改称の後、平城京に移転して南都七大寺の1つ大安寺となった。
 

 


2.南郷環濠集落

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奈良県広陵町南郷583-1(広陵町役場)
 
■ はるか戦国時代、大和国には強力な支配者が居なかったと言う。強盗や略奪が日常的に横行する中、村人たちには自分たちの村を守る自衛の精神が芽生えた。村の周囲に濠を巡らすことによって外敵に備える必要があった。また村を囲む環濠は水利施設としても利用されていた。広陵町役場の南方に環濠集落がある。その垣内(かいと)内に山王神社が鎮座し神社参道入口に石の弥勒様を祀っている。集落は室町時代に形成されていたようだ。規模は南北約700m、東西約550m。濠と石畳が当時の面影を伝えている。
 環濠集落の多い奈良県下でも最大規模を有する。集落を取り囲む環濠は、今では土塁は削られ消滅してしまったが、コンクリートで擁壁が築かれ、また南から西にかけて環濠公園化され往時の面影はないが、農業用水路としての環濠は今も健在。環濠の南東角が、「城の内」と呼ばれ南郷氏の居館があったという
 


3.葛城市相撲館
 (けはや座)

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奈良県葛城市當麻83-1 300円 火・水定休
 
■ この地出身で相撲の開祖、當麻蹴速(たいまのけはや)を称え相撲の歴史を伝承するため平成2年5月に開館された。この相撲館は全国でも珍しい相撲の資料館。奈良時代に成立した日本最古の歴史書「日本書紀」に11代垂仁天皇の時代に當麻蹴速と出雲国の野見宿禰(のみのすくね)が力比べを行ったとの記述がある。これが天覧相撲であり国技相撲の起源と言われている。
 1階中央には本場所と同サイズの土俵があり(土俵は上がることができる)相撲の歴史や郷土力士に関する資料が展示されている。2階には新入幕を果たした大真鶴関の展示コーナーもある。  相撲館の前に當麻蹴速塚と呼ばれる五輪塔があり鎌倉時代に建てられた蹴速の墓と伝わる。
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4.弁慶の七つ石
 (春日神社内)

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奈良県大和高田市大中東町2
 
■ 当麻街道沿いに鎮座する春日神社の境内に、七つの石が置かれています。源義経が兄の頼朝に追われた際に静御前の母親である磯野禅尼(いそのぜんに)が住む礒野の地を訪ね、主従7人(義経、静、武蔵坊弁慶、常陸坊海尊、駿河の次郎、伊勢の三郎、亀井の六郎、片岡経春、佐藤忠信と荷物持ちの喜三太)がこの石に腰掛けて一休みしたと伝わる。
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5.静御前の衣掛松
 (高田高校内)

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奈良県大和高田市礒野東町6-6(県立高田高校)
 
■ 京で白拍子の名手であった静御前は源義経に見初められるが、やがて義経は兄の源頼朝に追われる身となる。1186静御前は捕らえられ鎌倉に送られるが、夫を想う見事な舞をさしたため許された。その後の消息は不明でそのため各地に伝承地が散在する。これもその1つで京に戻りその後、母のいる故郷大和の礒野村に帰り余生を過した。春日町の笠神の森にある明神さまに病気平癒を祈り、帰る途中の一本の松の木に衣を掛けたといわれる。松は県立高田高校内にあったといい今も記念碑が残る。
 また静御前の生涯を語る記念碑が大中公園(大和高田市)に建立。静御前の墓はいまの礒野北町藤の木の民家の隙間(市立病院の西約100m)に塚跡がある。
 


6.高田城跡

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奈良県大和高田市旭北町2
 
■ 現在の片塩小学校、常光寺池一帯にあったとされる。1432室町幕府六代将軍・足利義教の命により当麻氏が城主に任じられ、その後、約150年間にわたり戦国武士が群雄割拠した時代に重要な砦としての役割を果たした。大和盆地の要衝に位置していたこの城は、たびたび攻め入られ、城主であった高田氏は悲運のなかに消えた。今、この地には常光寺の小学校側に隣接して榎の大木とともに石碑が建てられ、往時をしのばせる。
 


7.柿本神社
 柿本人麻呂墓

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奈良県葛城市柿本164
 
■ 約700年の第41代持統天皇、孫の第42代文武天皇の頃に活躍した万葉歌人。皇子,皇女の死に際しての挽歌や天皇の行幸に供奉しての作が多いところから,歌をもって宮廷に仕えた宮廷詩人であったと考えられる。柿本神社の御祭神で三十六歌仙の一人に数えられる。人麻呂歌集には長短含めて約370首におよぶ。質量ともに《万葉集》最大の歌人で,さらにその雄渾にして修辞を尽くした作風は日本詩歌史に独歩する存在とみなされる。ここは人麻呂の生誕地と伝わる。拝殿向かって左後方に「柿本大夫人麻呂之墓」と刻まれた石碑が建つ。赴任地の石見国(島根県益田市)で没した人麻呂を、770年に改葬して、傍らに社殿を建てたのがその起源とされる。この辺りは古代葛城の中心地とされる。
 香川県坂出市の沙弥島は人麻呂が船を着けた際に歌を詠んだことで知られる「万葉の島」。ここの浜には人麻呂碑が立つ。「玉藻よし讃岐の国は国柄か―」。

 


8.孝安天皇陵
 (こうあんてんのう)
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孝安天皇陵入口

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孝安天皇陵からの遠望

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孝安天皇陵

奈良県御所市玉手675
 
■ 奈良盆地南部は初期大和朝廷の発生の地で王都である。以降7代孝霊や9代開化あたりから宮は奈良盆地の北部へ移るが、初期の大和朝廷の宮は奈良盆地の南部に営まれたのである。第6代孝安天皇の御陵「玉手丘上陵」(たまてのおかのえのみささぎ)は、宮跡より少し離れた北東の玉手という地域にある。天皇は記紀では100歳以上生きたとされ、綏靖から開化の8代天皇は実在しないと言われる。小高い丘の上にあるこの御陵から台地を見下ろすと心が和み、古代の天皇が眠る場所としてふさわしい雰囲気が漂う。近くには第5代孝昭天皇の掖上池心宮跡(民家の中に石碑があり見つけにくい)があり、御陵は御所市三室「掖上博多山上陵」がある。
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9.御所実業高校

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奈良県御所市玉手300
 
■ 高校ラグビー名門の公立校。 2007年4月に県立御所工業高校と県立御所東高校の2校が統合の上、新設された。校地・校舎は旧・御所工業高校のものを継承。農業と工業に関する学科を有している。また御所市は薬の製造・販売を地場産業としているため、全国的にも珍しく製薬系の学科を有しており、近年は全国募集も行っている。2008年全国高校ラグビーフットボール大会で「御所工業・実業」として出場し、準優勝となる。生徒数: 男子520名 女子73名 (2021年現在)
 


10.宮山古墳
 国史跡

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奈良県御所市玉手675
 
■ 宮山古墳は南葛城地域で最初に築造された大首長墓。丘陵の先端部を切断して築造された巨大前方後円墳である。古くから後円部には八幡神社が祀られ、「宮山」の名称はこれに由来する。5世紀前葉の時期にこの地域に出現する。古墳は主軸をほぼ東西に向け、3段に構成された前方後円墳で全長238m、後円部径105m、前方部幅約110m、同部高約22mで国内18番目の大きさ。主体部は後円部に墳丘中軸をはさんで南北に2基の竪穴式石室が存在、前方部にも多数の銅鏡が発見されたという施設の存在が知られている。
 


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