第234回 漫友会 「徳川幕府ゆかりの地を訪問」

◆実施日
令和5年 9月6日(火)10:00~16:30
◆集 合

JR 御茶ノ水駅 聖橋口

◆参加者
(敬称略) 
  • 小森孝敏(龍ヶ崎市)、戸谷輝夫(取手市)、山下晃生(牛久市)
    大島耕而(千葉市)、吉野博(水戸市)、大久保敏雄(鎌ケ谷市)
  •      小石川功(筑西市)、中嶋 繁(野田市/幹事)以上8名

◆行  程
10:00~10:15 湯島聖堂(昌平坂学問所)・孔子像・楷の木
            バス移動 御茶ノ水駅前~東大構内
10:40~11:00 ノーベル物理学賞受賞記念樹(楷の木)・安田講堂裏
11:00~11:20 東大中央食堂(昼食)
11:20~12:40 旧加賀藩邸(三四郎池・赤門・東大正門・イチョウ並木・安田講堂)
12:40~12:50 旧水戸藩邸(東大農学部)
            地下鉄移動 東大前~本駒込
13:00~13:10 南谷寺(目赤不動尊) 
13:15~13:45 吉祥寺(山門・お七吉三郎比翼塚・吉祥寺大仏・二宮尊徳の墓)
            地下鉄・JR移動 本駒込~上野
14:30~16:30 「銀座ライオン上野西郷会館店」反省会

◆内 容
 江戸時代にはなかった本郷通り沿いに、徳川幕府ゆかりの湯島聖堂から旧加賀藩本郷邸や水戸藩邸を抜けて吉祥寺まで散策します。(文京区の吉祥寺です。)江戸古地図や藩邸の平面図と比較をすると、様変わりした東京が解ります。今回は、江戸古地図を思い描きながら徳川ゆかりの地を散策することにしました。
◆報 告
◎湯島聖堂(昌平坂学問所)
 
湯島聖堂の孔子廟は徳川綱吉により建てられました。 元々の孔子の墓は中国山東省曲阜県昌平郷(しょうへいきょう)に有り、これに由来をして湯島聖堂横の坂を昌平坂としました。更に、この地に建てられた学問所を昌平坂学問所としました。 湯島聖堂に有る楷(かい)の木は、中国曲阜県の孔子の墓に有る楷(かい)の木の子供です。 この楷(かい)の木の孫は東大にも有ります。牧野富太郎は「孔子木」と命名しています。 楷の木は学問の木とも呼ばれています。
◎東京大学
 徳川幕府管轄であった「昌平坂学問所」と洋学教育研究所であった「開成所」と種痘所の「医学所」を明治維新後に統合して出来た「大学校」です。敷地は加賀藩邸、水戸藩邸、小笠原信濃守邸からなり、心字池(三四郎池)や赤門、加賀藩本郷本堤庭園(非公開)が残っています。本郷キャンパスの赤門から三四郎池までの広大な敷地には加賀藩前田家の屋敷が有りました。現在の安田講堂や工学部、医学部、附属病院の辺りには前田家の家来の膨大な長屋や厩が有りました。(参勤交代の際に随行して来た約2000人の家来のための長屋です。)弥生キャンパスの農学部は水戸藩の屋敷跡に有ります。
◎大聖山東朝院 南谷寺(通称:目赤不動尊)
 将軍家鷹狩りの途中に立ち寄った徳川家光により、目赤不動と改称するよう申し渡されました。 以後江戸五色不動尊の一つとなっています。 近くの吉祥寺に隣接をして御鷹匠屋敷が有り、鷹狩に使用する将軍家の鷹は、この鷹匠が預かっていました。
◎曹洞宗 吉祥寺
 JR中央線の吉祥寺駅に吉祥寺は有りません。 元々の吉祥寺は現在の水道橋附近に有りました。 江戸時代初期、八百屋お七の振袖火事により吉祥寺の門前町が全焼し、住民は徳川幕府の命により武蔵の新田開墾のため移住しました。この移住地を吉祥寺村としています。水道橋の吉祥寺はその後の火事で全焼したため現在地の本駒込に移りました。 二宮尊徳の墓:二宮尊徳の遺骨はひ孫の二宮徳により吉祥寺に永らく預けられたままになっていました。報徳精神の偉人が埋葬されないままで有ったため、昭和14年本郷区長等が中心となって現在地に埋葬されました。

  • <記事:中嶋  写真:山下、小森、中嶋>

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  • 東大「安田講堂」を背景に集合写真

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 次回、10月例会 第235回 漫友会 驚き!発見!いばらきの旅「西の内和紙を尋ねて」
 10月
10日(火)JR水郡線 中舟生駅 
12:10 集合 

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