【奈良の民話/伝説⑩】田道間守(たじまもり)

「田道間守(たじまもり)

大和西大寺駅から一駅南、尼辻駅の近くに、第11代垂仁天皇(すいにんてんのう)陵とされる宝来山古墳(全長227mの前方後円墳)があり、古墳の堀に浮かぶ小さな島(円墳)があります。これが田道間守(たじまもり)の墓と呼ばれているものです。田道間守は、日本に渡来した新羅の王子・天日槍(あめのひぼこ)の子孫であり、生まれは但馬国とされています。垂仁天皇の忠臣とされ、お菓子の神様(菓祖神)として崇敬されているそうです。

『日本書紀』や『古事記』にも田道間守にまつわる伝説が記載されていますが、その内容は次の通りです。(『古事記』では「多遅摩毛理」と表記されています)

昔むかし、田道間守は第十一代垂仁天皇の命をうけ、遠い海の向こう「常世(とこよ)の国」にあるという「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)」を探す旅に出ました。「非時香菓」とは一年中実り、芳香を放つ果実の意味で、当時、日本に「非時香菓」はなく、食べると歳をとらずに長生きができると考えられていました。田道間守は、唐や天竺などさまざまな国をめぐって探し求め、ついに「非時香菓」を見つけました。それは美しい黄色の実と、葉のついた枝でした。田道間守は急いでその枝を持って帰国しましたが、旅に出てから既に10年の歳月が経過していました。垂仁天皇は田道間守が帰国する1年前に崩御されていて、せっかく持ち帰った「非時香菓」を渡すことはできませんでした。嘆き悲しんだ田道間守は、垂仁天皇の御陵にもうでて帰国の遅れを詫び、約束を果したことを報告して持ち帰った橘の半分を墓前に捧げた後、悲しみのあまり亡くなったと伝えられているそうです。

その時に持ち帰った「非時香菓」こそ、橘(たちばな)の実で、田道間守の故郷である豊岡市の中嶋神社に祀られたそうです。昔、果物は「果子・かし」と呼ばれており、橘は果子の最上級品とされていたことから、田道間守はお菓子の神様(菓祖)として崇敬されているそうです。橘の実は品種改良され、現在ではミカンとして全国の人々に食べられるようになりました。
なお、文部省唱歌の中に「田道間守の歌」(昭和17年)があります。また、奈良県高市郡明日香村の橘寺は田道間守が持ち帰った橘の実を植えたことに由来するとも言われています。

(2021.2.18 小西 宏明)

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