九度山_真田信繁幸村公

  • 九度山町には高野山の開祖・空海(弘法大師)の母が暮らしていたという慈尊院があます。
    空海は月に9度母に会いに高野山から来ていたことから九度山の地名が付いたと伝わっています。
  • 九度山町は古くからの高野山領で明治まで続きました。また真田信繁(幸村)公ゆかりの地です。
    1600年の関ヶ原の戦いで父昌幸と共に西軍に味方したため徳川家康公に高野山蟄居を命ぜられ、高野山『蓮華定院』に軟禁されます。
    本来ですと殺される、もしくは切腹するところ、武勲でリスペクトされていたのでしょう。
    但し高野山は女人禁制、お殿様には大変ですので高野山領麓の九度山に遷り、14年後に大坂冬の陣に出陣、翌年の夏の陣で壮烈な最期を遂げるまで、雌伏し時の至るのを待っていたのです。
  • 「九度山・真田ミュージアム」や真田屋敷跡「真田庵」、高野山への玄関口で世界遺産の「慈尊院」「丹生官省符神社」などがあります。(和歌山・石山)


慈尊院:世界遺産・女人高野・弘法大師 母公の寺「慈尊院」です。

  • 真田幸村公 大坂激戦の地 玉造・三光神社、天王寺・安居天満宮  九度山から大阪天王寺は直線距離約40kmです。
  • 1614年、九度山を脱出して嫡男大助幸昌公と共に大坂城に入りました。大坂で信繁公が指揮を執っていた軍は、鎧を赤で統一していたようです。
  • 豊臣方の武将として大坂夏の陣(1615年)徳川家康公の本陣まで攻め込んだ活躍が、江戸幕府や諸大名家の各史料に記録され、「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と評されます。

 

 

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