分割掲載【2日目】山本さんの歴史探訪旅行記 松代 坂城町 上田

山本さんの歴史探訪旅行記
・8分割2日目 6-12

 ホームページ担当の鷲見です。
 先に掲載した山本さんの歴史探訪旅行記は47箇所の解説を1ページに掲載しましたが、長すぎて下まで読みきれないとのご意見もあり、8日の旅を8ページに分割しました。参考までに、旅先をプロットしたGoogleマップを添付しました。

歴史探訪 松代 坂城町 上田

山本さんの歴史探訪旅行記

二日目・クリックで開きます


6.
妻女山(上杉謙信本陣)
 比高50m
 長野県長野市松代町岩野長野ICから403号を西に進み10分
 Pあり10台
 1561、8月、上杉謙信が1万3,000人の軍陣営を設けた小高い山。展望よく、東に松代の町、西北に千曲川の流れと川中島平一帯を見渡せ、武田方の海津城の動静を伺うには絶好の場所。現在山腹には、戊辰戦争の戦死者を祭る招魂社(しょうこんしゃ)が建つ。展望台からは、遠く北アルプス、戸隠、飯綱などの山々が一望でき、信州のサンセットポイント100選の1つ。
 •甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信は北信濃の覇権をめぐって川中島周辺で5度衝突、中でも「第4次川中島の戦い」では両軍合わせて7000人以上の死者が出たという。武田軍は啄木鳥戦法によって上杉軍を挟撃しようと計画するが上杉軍に裏をかかれ別動隊1万2千が妻女山に到着した頃にはもぬけの空だった。先に山を降りた上杉軍は八幡原で武田軍本体と激突、多くの死者を出したが決着が付くことはなかった。

6


7.
雨宮の渡し跡
 千曲市雨宮1533-4保育園
 1561第4次川中島の戦いの時、武田側の炊飯煙を見て「啄木鳥の戦法」を察知した上杉謙信は1万3千の兵を率い夜陰に乗じて妻女山を下り千曲川を人馬ともに声なく渡り武田信玄の本陣に突撃したとされる。このあたりは平安時代から重要な軍事上の渡河地域であった。現在は頼山陽の直筆になる「鞭声粛々(べんせいしゅくしゅく)夜河を渡る……」の有名な詩碑が建つ小さな史跡公園となっている。現在の千曲川は約800m北方に移動している。


8.
森将軍塚古墳
 国史跡
 長野県千曲市屋代29-1
山本さんの歴史探訪旅行記
 今からおよそ1,600年前以上昔、4世紀中頃の古墳時代前期に造られた全長約100mの前方後円墳。当時の科野のクニを治めていた王の墓と考えられる。長野県下には約50基ほどの前方後円墳があるが最大のもの。標高490mの所にあり。古墳までの道のりは「科野の里歴史公園」駐車場から約1kでゆっくり歩いて20分ほど。トレッキングコースが整備されている。古墳からは美しい眺望が臨める。天気が良い日は北アルプスの山々が見える。
 市内の夫婦との会話:健康のためここを歩くことが日課の様子。また二人して好きな趣味があることが健康に繋がっているとのこと。郷土愛が強い様子。①夫ちょうちょが専門。収集と解説。小学校に呼ばれて解説することがある。サイパンの遺骨収集にも参加。全体で60柱を集め東京の千鳥ヶ淵に収めたとのこと。②妻俳句の先生。塾をひらいている。夫の趣味にもつき合い俳句の題材入手に余念がないみたい。生徒の句をバッサリ切ることあり。夏井先生にもお会いした。性格よく似ている感じだった。


9.
狐落城こらくじょう
 比高260 m
 長野県坂城町網掛1538-8
 村上大国魂社(千曲川南側)
山本さんの歴史探訪旅行記
 村上氏の元々の本拠はこの付近で後、千曲川対岸の葛尾城へ本拠を移した。村上義清が葛尾城の支城の1つで狐も落ちるほど急峻なのでこの名がついたという。村上氏の詰城ともいわれる重要視された城で1553武田信玄の侵攻によりこの城が落ちたことを聞くと義清は家臣を連れて越後に逃走。現在城址には一部石積みが残る。山麓に村上大国魂社(村上氏の氏神)がありここに登城口がある。神社の鳥居までの竹林、鳥居を過ぎてからの本殿までの参道は趣がある。
 攻城メモ:葛尾城の反対側に位置する義清の支城。途中から急な上り坂が続くがロープがあるのでそれなりに登れる。十六夜観月殿も趣がある。


10.
上田原古戦場跡
 長野県上田市上田原363(石久摩神社)
 千曲公園=車で行くことは可能だが車1台がやっと通れるような獣道。
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 1548信濃攻略を進めていた武田信玄(8千)と葛尾城を本拠とする村上義清(5千)が武力衝突した古戦場跡。信玄は南東にある倉枡山、義清は北西にある天白山(千曲公園=絶景スポット)の麓に各陣をはり上田原一帯で合戦。最初は武田方が優勢であったが村上方の逆襲にあい武田方は板垣信方、甘利虎泰、才間河内守、初鹿根伝右衛門などの重臣を失ったほか、信玄自身も手傷を負う負け戦さ。勝った村上方も屋代源五、小島権兵衛などの武将が戦死。無敗の武田軍が初めて負けた戦い。 両軍合わせて約千(村上300:武田700)の死者が出たとも、 今は石碑が残るのみ。石久摩神社境内に古戦場の碑が神社裏に無名兵士の塚あり。

10上田原古戦場跡


11.
海野宿(うんのじゅく)
 日本の道百選
 重伝建
 長野県東御(とうみ)市本海野1052
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 真田一族の本家筋とされる名家海野一族ゆかりの地。真田昌幸が上田城築城の際にここから寺社や町を上田市に移した。1625中山道と北陸道を結ぶ北国街道の宿場町として開設、大変な賑わいを見せた。町並みは江戸時代の旅籠屋造りや茅葺き屋根の建物と明治以降の堅牢な蚕室造りの建物とがよく調和して伝統的な家並みを形成。道の中央を流れる650mの用水が流れその両側に立ち並ぶ格子戸のはまった美しい家並みは歴史のふる里を想わせる。レトロで趣のある町並みでほっこり癒しの時が過ごせる。


12.
別所温泉
 長野県上田市別所温泉 温泉駅南の有料P
 ①北向観音 上田市別所温泉1656
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 ②石湯(150円)P無料 上田市別所温泉1641
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 ③塩田城 上田市前山541   別所温泉南東約4km
 信州最古の温泉といわれる天然温泉と国宝や重文などの歴史的建造物がある。信州の鎌倉といわれる塩田平がある。1277かつて塩田北条氏三代(義政以後55年)の居城「塩田城」があった。またその周りには神社仏閣が点在し、現在なおその面影が残る。厄除け観音で名高い「北向観音」を中心に狭い路地が入り組む温泉街が広がる。 観音様を取り囲むように慈覚大師が愛した「大師湯」、『真田太平記』にも登場する「石湯」( 0.1 km)、木曽義仲が入浴したと伝わる「大湯」( 0.4 km)と由緒ある共同浴場が点在。
 
 


宿泊2 5月16日.
道の駅「上田・道と川の駅」おとぎの里
 長野県上田市小泉2575-2 標高420m無休18:00まで P66台 日帰り温泉あいそめの湯(別所温泉)
隣の道の駅あおきより規模大。お勧め:馬肉うどんセット850円
 日本百景奇岩の「岩鼻」を背景に武田信玄と村上義清の軍勢が激戦死闘を繰り広げた上田原の合戦地に隣接。駐車場・トイレは24時間利用可能。ここから望む日本百景 奇岩「岩鼻」は高さ100mもある地域のシンボルでその山頂にある千曲公園からは上田市街地や周辺地域を一望できる。 

 このように、皆様の活動を支部ホームページでご紹介したいと思います。ご意見ご要望はこちらのお問い合わせまでお知らせ下さい。

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