【奈良の民話/伝説⑧】久米寺と久米仙人

「久米寺と久米仙人」

橿原神宮の一の鳥居を南に入ってすぐのところに、真言宗御室派の寺院「久米寺(くめでら)」があります。開基は、薬師如来に祈願して眼病が治った「来目皇子(くめのみこ)」(聖徳太子の弟)であるとか、娘のふくらはぎに見とれて空から落ちたという「久米仙人(くめのせんにん)」であるなどと伝えられていますが、この「久米仙人」については、仏教関係の文献はもとより『今昔物語集』『徒然草』などにも記述があるそうです。

今回は、この人間くさい一面をもつ「久米仙人」のおはなしの一つを、写真の下でご紹介させていただきますので、どうぞご覧ください。

《おはなしのあらすじ》

むかし、久米という男が吉野の竜門寺で修業をして仙人になり、空を飛べるようになりました。
ある日、久米が吉野川を越えて芋洗川の上空を飛んでいると、可愛い娘が川で洗濯をしているのが見えました。久米は、娘の雪のように白い足を見ると、自分が空を飛んでいるのを忘れて(ああ、こんな娘を嫁さんにしたい)と思いました。そのとたん、久米の神通力は消えて空から落ちてしまいました。人間にかえった久米は、その娘を嫁さんにして仲良く暮らしていました。
そのころ、天皇は高市に都を作ろうと、おおぜいの人を集めました。その中に久米もいました。久米は、人々が大きな材木を運ぶのに苦労しているのを見ると、(もう一度だけ、仙人の術を試してみよう)と、身も心も清めて、七日七晩のあいだ祈り続けました、すると、八日目の朝、たくさんの材木が南の山から飛んできて、都を作る予定の場所へおさまりました。天皇はとても喜ばれて、久米に三十町あたりの田んぼを与えられました。その土地に建てた寺が、橿原神宮のそばにある久米寺です。
久米は、その寺に薬師如来を祭り、自分の姿を木像にして残しました。そして、一生病気にかからないという竹の箸も配りました。そののち、久米は三百歳になった時に、西のほう極楽浄土をめざして雲に乗って飛んで行ったそうです。

(2021.2.8 小西 宏明)

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