(QOL松愛)健康づくり情報 5:戦国武将に学ぶ健康長寿の秘密!

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健康づくり情報の第5回目は『戦国武将に学ぶ健康長寿の秘密』をテーマに掲載します。                     
(出典WEBサイト:第一製薬工業株式会社 第一薬品工業株式会社様からは会員の健康維持を目的にする ことでの利用の許諾をいただいています)

❶ 戦国武将の日常生活とは?

戦国時代の平均寿命をご存知でしょうか?
その年齢はなんと37~38歳。現代では考えられない程に短命です。そんな時代の戦国武将。 
戦死する方も多かったと思いますが、長寿で活躍した方々が数多くいらっしゃいます。

今回の健康情報は、戦国武将の生活からその長寿の秘密を探っていきます。

◆長寿の戦国武将、こんなに多かった
戦国時代の武士の中には、以下のように長命で活躍した方々が数多くいらっしゃいます。

皆さまの好きな武将は入っていましたでしょうか?戦国武将に数えられる人々は、当時一定以上の成功を収めた方々です。当然庶民に比べて栄養状態や生活の状況など恵まれており、長寿であることもあたり前のようにも思います。しかし、その分を差し引いても現在ほど医療が発達していないこの時代において、長命な方々が多いように思います。その秘密が、戦国武将の毎日の生活にあると考えられます。

戦国武将の日常生活をチェック。現代にも通用する健康習慣があった!

図解 戦国武将(池上良太 著)では、戦国武将の日常生活(1日の生活パターン、体の鍛え方、頭の鍛え方、食事)を以下のように紹介しています。

■ 戦国武将の一日の生活パターン

戦国武将の起床時間は午前3時から午前5時までの間。夜襲を警戒する目的もあったそうです。屋敷の点検、水行で神仏に礼拝の後、身支度や家人へ用事を申し付けます。 

城勤めの武将は、午前6時には出仕していました。ただし、毎日ではなく、必要に応じて出仕していたようです。朝食は午前8時頃。弁当を持参することが多かったようです。君主によっては、武将の朝食を準備していました。

身分や役職によって城での仕事が異なり、身分の低い者は、馬の世話や城の備品管理などの雑用や警備を主に担当しました。それ以外の者は、役職に応じた仕事を行いました。

例えば右筆(文書や記録をつかさどる職)であれば書類の作成などです。城に出仕しない日も武将は多忙です。身分の高い武将は自らの領地の管理や接待、身分の低い武将は生活の糧を得るために畑仕事などに従事していました。

午後2時に夕食(当時は1日2食)。午後6時には門を閉めて、屋敷の点検や火元の確認を行い、午後8時には就寝していました。1)

戦国武将の体の鍛え方

戦国武将は、戦場での活躍が求められます。その為に仕事の合間に体を鍛え、戦場で役立つ技を修練しました。刀や弓、槍、鉄砲に加え、馬、組打(素手での格闘術)、水練(水泳)、忍術などの武芸です。優れた人物を選んで弟子入りし、効率よく学んでいたそうです。2)

戦国武将の頭の鍛え方

文武両道と言われるように、武士は様々な教養も身につけていました。子供の頃には主に禅宗の寺院で基本的な読み書きや経文、武家のしきたりや一般常識などを学びました。大人になってからも、公家との交渉など必要により蹴鞠、絵画、立花、香道など貴族的な文化も学んだと言われています。3)

戦国武将の食事

食事の内容は一汁一菜が基本でご飯(玄米や雑穀)の量が最も多く、1回の食事で2合5勺(今の茶碗5杯分)も食べていました。汁物は味噌汁や塩汁など、おかずは野菜や海草、蒲鉾や納豆などの加工食品、梅干し、漬物、鳥類や魚の肉などさまざまです。このように普段の戦国武将たちの食事は質素なものでした。4)

戦国武将は、早寝早起きで、体、頭共に鍛え、質素な食事をしていたことが分かります。次回は、このような生活からわかる戦国武将の長寿の秘密及び、長寿な武将として知られる徳川家康の長寿の秘密についてご紹介致します。

参考文献
1)池上良太(2010)「図解 戦国武将」新紀元社,PP.56-57
2)同上,PP.58-59
3)同上,PP.60-61
4)同上,PP.46-47

戦国武将の7つの長寿の秘密と徳川家康の長寿の秘密

戦国武将の生活から、その長寿の秘密を探っていきます。
戦国武将の7つの長寿の秘密と徳川家康の長寿の秘密をご紹介致します。

戦国武将の長寿の秘密

武士のメシ(永山久夫 著)では、武士の生活から下記の7つの長寿の秘密を考察しています。

玄米、野菜、魚、海藻に日本茶、現代でも健康に良いとされている食品です。また、よく噛んで食べる、常に身体を動かす(運動を行う)も現代でも健康に良いとされている習慣です。好きな武将も行っていた食事や習慣と思って、私たちも見習っていきましょう。

健康マニアNo.1武将、徳川家康の健康の秘密は八味丸!

戦国武将達にとって健康は、戦国時代を勝ち抜いて生き残る為に不可欠な要素であり、全ての武将達が気を付けていたものと思います。
中でも最も健康に気を付けていた一人と考えられるのが徳川家康です。家康はかなりの健康マニアであったと考えられています。セルフメディケーションの達人と言って良いでしょう。
徳川家康は、75歳でお亡くなりになりましたが、豊臣家を滅ぼし、後顧の憂いを絶って徳川家の天下を堅固なものとしたのはその前年。もし、家康が健康に無頓着で早くお亡くなりになっていたら、日本の歴史は変わっていたかもしれません。

家康が実践していた健康法が、江戸幕府が編纂した「徳川実記」に記されています。中でも現代人の健康にも必要と考えられるのが以下の5点です。

  1. 粗食中心の食事
    贅沢は月に2~3度で良いとし、麦飯と味噌中心の一汁一菜から一汁二菜の食事をしていました。
  2. 高齢になっても肉を食べる
    粗食を好む一方で、キジやツルなどの焼き鳥を好物としました。70歳を超えても鷹狩を楽しむ体力は、この肉食から来ていたのでしょう。
  3. 運動を行う
    歳をとっても鷹狩に加え、剣術、弓術、水泳、乗馬も好んで行っていました。
  4. ストレスの発散
    香木を焚いて心を落ち着かせ、ストレスを発散していました。
  5. 薬について学び、活用する
    薬学を熱心に学んで自ら薬を調合していました。愛用していた漢方薬の1つが八味丸。中国で不老長寿を目指して作られたと言われ、「金匱要略」という有名な漢方書籍の中で、最も多く登場する薬です。自ら愛用するだけでなく、病気がちな家臣にも分け与えていました。
    慶長18年(1613年)に、側近の本多正信が家康のもとを訪れた際にも、病気がちだった正信を案じて八味丸を百粒与えた記録が残っています。
    家康が長寿で天下を取ったのには、この八味丸の助けがあったのかもしれません。また、家康は生涯18人の子女をもうけましたが、そのうちの3人は60歳を過ぎてから。この元気の秘密も八味丸にあったのかもしれません。

戦国武将や戦国武将の中でも特に健康に気を付けていたと考えられる徳川家康の健康長寿の秘訣をお伝えしました。これらの秘訣を私たち自身の生活にも取り入れ、食生活の見直し、運動の実施、ストレスの発散、薬の活用などにより、健康長寿を目指しましょう。

参考文献
1)永山久夫(2012)「武士のメシ」宝島社,PP.94-95

 

構成:光藤 富雄

 

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