Enjoy Shoai 古賀 行憲さん

 こ   が   ゆきのり

2020.4.10

東香里在住 2班

皆様と一緒に、更なる健康増進、人生充実を目指します!

◇出身は現在の佐賀県武雄市

私の生れは1944年九州佐賀県武雄市。今尚懐かしい『山紫に水清く住吉村』を出てから光陰矢の如し、三種の神器と高度成長、日本最初の東京オリンピック、その直後の不況と就職難といわれた時代の1967年に、私は松下電器に入社しました。創業者松下幸之助は『戦後繁栄の時の人』、松下電器経営理念の奥深さと、次々に打出されて実行される経営施策に心底感激しました。会社生活の始まりは門真松心寮の4人部屋、配属職場は生産技術研究所機械工場、社会人として産業人としての第一歩でした。

◇1980年に台湾松下へ出向、海外生活の始まり

1980年当時の台湾は高成長へ移行中、モノづくりのコストダウンや合理化が要請され、治工具改善や金型、部品や完成品の組立ライン導入、工程改善や自動化、工場再開発、新工場建設など、生産技術の仕事はとても多忙でした。この間、海外赴任2度の台湾は累計17年に及びました。
 1999年生産技術本部に帰任し、3年後2002年に早期退職。折しも中国大陸には多くの日本企業が進出、中国の製造業は将に桁違いの発展期にあり、私は中国のこの発展をこの目で見届けたいと、2007年中国杭州に単身渡航、幾つかの製造会社に勤めて、現場改善を通じて事業の発展を一途に支援しました。あっという間に10年が過ぎ2017年に肺炎を病んで帰国を余儀なくされましたが、その時は72歳を超えていました。

◇入退院と後遺症、失意の中で松愛会へのお誘い

大阪生活が再び始まり、健康づくりのジム通いを始めた矢先、脳梗塞発症、救急車で入院、下半身不自由の後遺症を告げられ、ショックでした。失意の中、自宅療養中に訪問して来た枚方南支部2班の中島さんに声を掛けられ、先ずは松愛会に参加活動することに致しました。2018年伊勢神宮参拝の初バス旅行以降、新春懇親会、春日神社清掃、天の川クリーン&ウォーク、社会見学天神天満繁盛亭などへの参加です。

◇くらわん会『大寅の会』との出会い

そして極み付けは昨年1月くらわん会に初参加。此処に伝統の『大寅の会』が継承されていて、仕切り役は勝川さん、松下と言う風土と文化の中で生きて来た人間同士、お互の個性は色々だが、何を言っても言われても、違和感なく楽しくやれる仲間の集いがありました。

◇皆様と共に、更なる健康増進と人生充実を目指します

そんな中、突然やってきた新型コロナウィルス、松愛会活動が止まってしまいました。私の『くらわん会』参加は未だ12回だけ、このチャンス到来は『遅すぎた春』の感もあり、気持ちが少し焦ります。それでも皆様と共に、更なる健康増進と人生充実を目指します。どうか宜しくお願い致します。

◆Enjoy Shoai 担当より一言

初めてお会いしたのが2019年1月のくらわん会です。大変気さくな方で、直ぐに仲間に溶け込まれていました。2020年1月のくらわん会で、京阪電車の人身事故の影響で踏切が開かず、バスが交野駅で止まってしまう問題が起こりました。その時、バスの運転手さんに集合場所であるJR津田駅に行っていただけないか交渉し説得され10数名ほどの会員さんがくらわん会に参加できた。人を動かす話しぶりは古賀さんの人間力です。

【画像をクリックすると拡大表示します。「<」や「>」ボタンを押すとグループ内で次々と連続表示します】

 

記事がよければ「いいね!マーク」のクリックをお願いします

PAGE TOP