枚方の愛称道路 第2回『鏡伝道』

第2回『鏡伝道』
(市民の森・交野天神社)

2004年 5月 1日取材

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鏡伝道(きょうでんみち)(楠葉朝日3~楠葉丘2~楠葉野田3)

 樟葉駅前から延びるくずはアベニューの楠葉美咲3(三叉路)の信号をを京都側に折れると、楠葉朝日の住宅街の中を通る「鏡伝道」が始まる。
   楠葉丘1丁目と2丁目の境の住宅街の中をくねくねと行くと、楠葉中学校に突き当たる。そのすぐ手前に平安の想いを残す鏡伝池を中心に市民の森がひろがる。

 この市民の森には、花の森、郷土の森、せせらぎの森、緑化植物見本園などにわけ花や植物が植えられた、市民の憩いの公園だ。遠い平安を偲ばせる鏡伝池を囲み、植物が配置されており、今はつつじの花とかきつばたが見事な花をつけ、 これから花しょうぶなど四季折々の花が迎えてくれる。   鏡伝池は交野天神社の真南にあたり、この池でむかしに鏡を用いた水神祭祀が行われたものと推測される。 付近一帯は平安」時代に貴族の遊猟地としても著名であり、大宮人が清水をたたえた池に月を映し観月の宴を催したものだろうか。

 市民の森の北側に楠葉中学校があり、その奥に交野天神社の森が広がる。鏡伝道をさらに北に進みこの森に向かった。入口には楠葉宮奮跡と桓武天皇が先帝、光仁天皇を祀ったとの石碑がある。交野天神社(かたのあまつかみのやしろ)の社伝によれば延暦六年(787年)、桓武天皇の交野に昊天を郊祀するに際し、御父高紹天皇(光仁天皇)配祀されたのが起源といい、近隣の春日神社と天満神社を合祀している。周囲を住宅に囲まれながらも、鳥居から奥はうっそうとした森に包まれ、本殿のさらに右奥に貴船神社、楠葉の宮跡の看板があり高台に貴船神社のこじんまりした社がある。 ここが継体天皇が即位された楠葉宮で、この場所を永久に記録するためこの社が祀られたと言う。

 また『交野ヶ原と七夕伝説』のー木内鶴彦氏ーによれば、宮司のお話で1500年位前に交野天神社は“すべてが交わる場所”とされ、星にまつわる話が残っているというから、そこに描かれていたのは西暦535年の星空だと夢を語られる。高台にあった交野天神社(北極星)から、目の前には天文測量の鏡としての鏡伝池、そして広大な「交野が原」が一望に見渡せ、機物神社(ベガ)、星田妙見が一直線にあり、天野川との位置関係から周囲の星座と旧跡が位置付けれるとの説である。

<リポーター:田宮・岸本・山添・井須・中西・日垣・冨田 HP作成:冨田 WP編集:徳田>

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