第8回 夢中人紹介 水島 渡さん

”ひとコマ漫画に魅せられて”

枚方市東香里3丁目在住
2007年2月10日 取材

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1.取材訪問

  枚方南・北両支部のホームページ委員会の3名が、東香里3丁目の水島 渡様のお宅をお訪ねしました。奥様と共に、にこやかにお出迎え頂き、応接間に通され最初は雑談から始まりましたが、そのまま自然に取材質問を投げかけるまでもなく、雄弁にお答えいただきました。生き様、生い立ち等をお聞きしている内に水島様の経歴が明らかになってきました。

2. 動機と経歴

 水島さんは1927年(昭和2年)東京に生まれ、今年80歳になられました。1939年(昭和14年)にリベラルな気風溢れる私立の旧制中学に入学され、クラブ活動では美術部彫刻科に所属されましたが、彫刻よりも彫刻の基礎たるデッサンをみっちりと教え込まれ、今日の漫画制作の基礎を身に付けられたということです。
 その後は戦争中ということもあって、美術活動は完全に中断され、中学学業後半、戦争も山場を迎えた1943年(昭和18年)に、当時のエリート青年が集う江田島海軍兵学校に入学され、海軍将校の道を歩み始められました。

 中学卒業証書は後に親元へ届けられたそうです。約1年10ヶ月、短縮卒業直前の1945年(昭和20年)に終戦を迎えた。兵学校3学年へ進学前に、航空、海上、水中、陸戦等の特科に別れそれぞれ“特攻を含む”の任務が課せられており、戦争が長引いておれば、人間魚雷「回天」に乗り込み敵艦に突っ込んでいたであろうということでした。
 終戦後は、親元から遠く離れた福岡の九州帝国大学理学部化学科に入学、大学院卒終了後も大学に残られ、1958年(昭和33年)に松下電器の当時の無線研究所に入社され、主にチタン電解コンデンサーの研究開発に励まれました。

3. 漫画創作活動の動機

 50歳になったころ、諸行事に参加した際に友人から戴く写真や、親しい方からの年賀状や手紙への返事などには形式的な礼状ではなく、手間暇かけたものでお答えしたいと考え、 宛名、文章は葉書の表面に書き、大昔の体験頼りに、裏面全面を使って、ひとコマ漫画や諷刺的イラスト等を描いて送る様になった。それが相手から大変喜ばれ印象に残るようである。水島様自身もそれを契機に漫画に対する興味を深められ、ひとコマ漫画、諷刺的イラスト等の分野にのめりこむ動機となったとのことでした。

4.創作活動

制作中の水島さん

 ネタはブラックユーモアが中心。漫画の内容は、ギャグやダジャレを使った世相風刺など、時には大変するどく、時にはほのぼのとした漫画となっている。
 ひとコマ漫画、世相風は油絵、水墨画等の絵画と違って絵を描く技術そのものよりも漫画の言わんとしているダジャレ、ブラックユーモア等の趣旨を第三者に明確に伝達する表現力が大切であり、そのためには、常に新聞、テレビ、マスコミの情報に注目し世相等に敏感に反応することが必要であり、さらに漫画の素材は正確な表現に心がけ、狛犬や電車のパンタグラフ等日頃見慣れているものでも、作図の正確性を得るために、想像ではなく実際に自分の目で確かめ、現場に出向き写真に撮るなど大変努力をされている。

下光を使って制作中

 一枚の漫画の製作には大体2日を要している。先ず漫画全体の構図をごく普通の白紙にクロッキー(速描)して、登場するキャラクターの大きさや位置決めをする。より面白くより判り易くする為にクロッキーは何度も修正する。これで行こうと決めたらデッサンに移る。デッサンは、A4程度の大きさのマット紙に鉛筆で丁寧に書き込む、ガラス板の作業台の下から光を当てて書いた線がハッキリ見える状態で、インクや墨汁を用い主線を太く、他の線は細くトレースして原稿が完成する。これをはがき大に縮小コピーし素材を作る 。デッサンは中学時代彫刻部で徹底的に教えられた経験が大変役立っている。色づけは、アクリル・ガッシュという絵の具と鉛筆を使う。その後、色のはみ出しや汚れを修正液等で丁寧に消して、再度境界線を墨入れする。

5.最近の作品例

 

 松愛会枚方南支部新春懇親会において、昨年から“会員の作品展“に展示している。もう一つは、新聞“松愛”の松愛文芸の欄にひとコマ漫画として2ヶ月に一度、隔月投稿して掲載されている。

6.将来の夢

 個展を開きたいという夢をお持ちで、応接間にはユニークな画風で知られるジミー大西のカラフルなリトグラフが掲額されており、いつの日かジミー大西のような発想のアラカルトにも挑戦したいとの夢をお持ちであった。 最後に、あの世に逝くときは、自分で書いた「自画像」を斎場に飾ってもらいたいとおっしゃった。

7.取材雑感

 漫画を描くためには、世相を敏感に感じ取らなければならないので、テレビでは若者の出る番組をよく見るとのこと、ダジャレにその感性がよく現れている。話をされているその表情はとても若々しく、お顔も艶々され、歩こう会、地域活動にも積極的に参加されお元気そのもの、我々も大いに見習わなければならないと感じた。なんとも素晴らしい人生の達人である。

<HP作成:冨田 WP編集:吉川>

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