第16回 夢中人紹介 川埜 晋さん

”ソフトボールを通じて若さを永遠に”

枚方市菊丘町在住
2011年10月12日 取材

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1.取材訪問

  取材のために沢山の資料を持参して、枚方市駅前の喫茶店にわざわざお出で頂きました。 川埜さんにお目にかかった途端、その体格の立派さから 直ぐに何かスポーツをされている方であると分かりました。ご持参頂いた資料を基に、職歴、スポーツ、今日の取材の主題であるソフトボールのこと等に関して熱っぽく話を始められました。

2. 経歴概要

 川埜 晋(かわのすすむ)さんは、1938年(昭和13年)枚方のお生まれで、生粋の枚方育ちとのことです。枚方の小・中学校を卒業の後、守口の京阪商業(現:府立芦間高等学校)に進まれ、その小学校4年の時にベースボールと出会い、当初はキャッチャーとして中学・高校2年まで活躍、以後ピッチャーに転向、昭和30年には高校野球大阪大会予選上位まで勝ち進まれたそうです。
 松下電器には、1956年(昭和31年)定期採用入社、松下電子工業配属。会社幹部の理解もあり、松下電器とは別に松下電子工業にも「硬式野球部」を結成して頂き、都市対抗野球京都予選で準優勝まで進出されました。

 その後、松下のチームが門真市と京都市から出ていたのを門真市のみに統合された頃、少し体も痛めていたので社内野球チームから退団されたということです。松下電子工業では、人事畑を定年まで勤められ、その間、渉外関係、社会保険、同和関係、警察関係の仕事も担当されました。
 ソフトボールとの関わりは、松下電子工業を平成10年に定年退職後、学校用務員を中心に組織されていた枚方ソフトボール協会所属のソフトボールチーム“シルバーヤンチャーズ”に入団し、はじめはサードから始め、現在はそこの監督を勤められておられます。

3.ソフトボールの活動記録

  “シルバーヤンチャーズ”は、人数38名(内女子2名)で平均年齢69歳、練習は毎週月・金の2日間各3時間を枚方市内の元村野小学校跡の運動場で行っておられ、時には合宿訓練も行っておられるそうです。このチームは大阪ではかなり有名で、シニアの部(60歳以上)、ハイシニアの部(65歳以上)の春・秋の大会で常に好成績をあげておられます。
 川埜さんのチームは最近では 「ジョイフルスローピッチ・ソフトボール」という方式を楽しまれています。

 本来のソフトボールを「ファーストピッチ・ソフトボール」というのに対し、ランナーが守備者と接触せず安全にプレーできるように、例えばランナーが到着する本塁ベースを、本来のベース盤から少し離して別にもう1個設ける「ジョイフルスローピッチ(JSP)・ソフトボール」がアメリカから日本に伝わり、“シルバーヤンチャーズ”も「ジョイフルスローピッチ・ソフトボール」に対応し、その第1回大会(於“いきいきランド交野”)でいきなり優勝しました。以降、毎回出場し、第7回全国大会の富士山を望む会場でも優勝し、全国でも有名なチームとなりました。

4.話題になった記念写真・優勝トロフィー・表彰状など(年代順)

5.今後の夢

 川埜さんは性格上、“常に体を動かし忙しさに負けない”ことをモットーにしておられ、ソフトボール以外に、市民会館横の川原町でカラオケ喫茶“絆”を経営し、客、友人などとの絆を深めることを第一目的としておられます。ソフトボールでの “夢”は「全国優勝」することだそうです。

<取材:梅原、鬼頭、吉川、倉橋 HP作成:梅原 WP編集:吉川>

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