第56回 夢中人紹介  冨松 義男さん

とみまつ よしお
 

気がつけば パソコンの伝道師に!

枚方市山之上在住
取材日 2024年4月1日

<大分県国東に生まれ枚方を終の棲家に>

  • 1937年(S12)私が生まれた九州の田舎の夜は、どの家庭も1つ2つしかない電球を長いコードの先に付けて、あちこち持ち運ぶ 電気=電球という生活でした。長じて電気学生となり電力系の教科を学びましたが、都会で学ぶ電気の技術はすべてが初めて知る未知の世界でした。
  • 1960年(S35)松下電器に入社、会社生活は門真の電機事業部でモータ設計から始まりました。冷蔵庫・エヤコンなどのモータの設計です。交流モータを発明した東欧の鬼才 テスラ(磁束密度の単位になっている)に憧れる日々でもありました。
  • 1970(S45)年代に入るとモータにも電子制御の時代が来るはずとトランジスタ回路の勉強を始めたころ、ハードウェア(電子回路)をソフトウェア(プログラム)で置換するマイコン(マイクロコンピュータ)が出現。私の一生で最大の技術革新に遭遇し、私たちもモータのマイコン制御の研究を始めました。折しも、松下電器はテレビに続きビデオを中心に空飛ぶ勢いにあっても、モータ部門は事業不振の故に解体となり、門真駅前の地をビデオに譲ることになりました。

  • 1980年(S55)技術本部主体のマイコンとパソコンの教育機関「SE研修所」を枚方に新設する話があり、私はそこに拾われて定年まで技術社員のマイコン教育に携わりました。右写真の黄色カバーの「マイコン制御基礎編」と「マイコン制御応用編」(廣済堂出版)は私の著作です。初版から40年を経た今も大手書店の電気工学の書棚に並んでいます。
  • 1997年(H9)に定年となり、しばらくして松愛会本部や枚方南支部のHP委員になり現在に至っています。さらに、やや理屈っぽい「yytomyのIT情報」なるWebページを書き綴りながら、枚方を終の棲家と決めています。

 

<定年後の趣味>

 定年後は20~30年という長い人生があるはずと、次の目標を立てました。
①ゴルフが上手になること、②囲碁の段位を取ること、③ちょっと遅れてお茶を愉しむことを知りました。

① ゴルフを上手になること
 定年前から会員権を持っていた東城陽GCに、30年近く通い続けてそこそこうまくなった時点で、ときどき100を切る程度です。そこからは実力は下がる一方で自動車免許の返上を機にゴルフも止めました。少々お金も使いましたが、あちこち走り回り体力は維持できたかと一応は満足しています。長いゴルフ人生で一度のホールインワンを仲間に祝福された(右写真)ことも、数打ちゃ当たるうれしい思い出です。

② 囲碁の段位を取ること
 定年時の囲碁の実力は巷の初段ぐらいだったでしょうか。囲碁の専門書を何冊も買い込み、難波にあるプロ九段の囲碁教室に通い、松心会館の囲碁クラブにも参加しました。「近畿部会囲碁クラブ」のホームページに右の記録が見つかりました。
 その後2008年(H20)を最後に都合により囲碁はやめてしまいました。今では初段の実力もないでしょう。囲碁に関してはかなり中途半端に終わった残念さがあります。

③ お茶を愉しむこと
 80歳ちょっと前に始めたのが「茶道同好会」でお茶を愉しむことです。普通には食することのない美味しい茶菓子と、まろやかな抹茶の香りの絶妙な組み合わせに惹かれて 8年ほども経ちました。
 今では足が悪いこと・所作を容易に憶えられないなどで落ちこぼれていますが、写真を撮りホームページにするのも楽しみです。

 

<パソコンの技術記事を書く愉しみ>

 定年後は現役のときのハードがらみのマイコンは扱えないので、暇を見つけてはパソコンに触れることが多くなり、その新しい知見に触れると内容をWordにまとめていました。それが愉しくて仕方ありません。なぜそうなったかは定かではないですが、自身にマイコンの知識・技術がなくなるのが怖かったのかもしれません。

 やがて周囲は私をパソコン通として色々聞いてくることが多くなり、都度この文書を印刷して紙で渡すことで対応していました。そんなとき自宅サーバを立ち上げて資料をホームページにすることを思いつきました。早速、古いパソコンを Linuxサーバに改装して書き留めてきた資料を「yytomyのIT情報」として発信を始めました。24時間運転の自宅サーバはやがて壊れましたが、2020年3月からは sakuraサーバを借りて現在に至っています。
 今の私はほぼ毎日いろんなWebページをつつき回して、新しい情報を見つけて資料にまとめることが、余生の一番の愉しみになっています。HP役員としては「PC・スマホよろず相談室」を仲間と一緒に担当しています。

 

<技術の学びで心がけてきたこと>

 私は物理事象を見るとき結果だけでなく、そこに至るプロセスを大事にしています。例えば、右図は「パソコンの概念図」ですが、コンピュータはなぜこんな簡単な構成なのか、各部の物性と動作速度はどうか、プログラムとは何か、プログラムもデータも「1,0」の並びなのにどうやって区別するのか、など細かいことを常に意識しています。

 右図の仕組みが理解できると、例えば「起動」ボタンを押したとき、「Word」を開いたとき、「保存」操作をしたときなど、上図のどこがどう動くかが容易に分かります。信号の流れが見える(気がする)のです。もともと電気技術に何年も関わっていると、電流の流れが見えて電波が飛ぶ様子が見える(気がする)のと同じです。
 パソコンはこんな簡単な構成ですから、隅々まで理解するのは容易で、すごい仕事ができる原理も分かります。パソコンの操作は憶えようとしてもムリです。各部の物性や働きを知り尽くすと、操作の手順を覚えなくても勝手に手が動いてくれます。「重箱の隅をつつく」「木を見て森を見ず」などの諺には、技術者などに向けられる侮蔑の響きもありますが、この峠を乗り越えてこそ広い技術世界が見えてくると思っています。

 

<座右の銘:抽象山門に入るを許さず>

 この言葉は駒宮安男氏(1922~1993)の書物から引用したものです。旧通産省電気試験所に勤務し、日本のコンピュータ発展の基礎を築きました。氏の著作の表題に次のような記述があり、技術屋としての私の心構えにしました。
 『抽象山門に入るを許さず とは、筆者イリノイ大学に滞在中、夜な夜な日本人つどい語りて到達せし概念なり。現代の知識人ややもすれば、普遍的、一般的、抽象的な論を吐くことをもって尊しとなす風潮あり。しかし吾人はしからず。きわめて具体的な論をなすことこそ尊しと見つけたり』

 現役時代は「抽象山門に入るを許さず」と書いた用紙を 仕事机の上に置いて、マイコン技術者の育成に努めてきました。退職後に偶然に毎日新聞(2006.2.26)の右写真に触れ、「抽象・・・」の出典を知ることになります。禅寺には「不許葷酒入山門」の石柱があり、この日本語読み「クンシュ山門ニ入ルヲ許サズ」をもじったようです。(葷とは ニラ・ネギ・ニンニクなど臭気の強い野菜をいうようです)

 

編集に携わって:

 冨松さんは現役時代の後半は若い技術者に対して、ハードとソフトが絡むマイコン制御の基本を丁寧に指導されてきたと聞いています。枚方南支部では新しくHP役員になる人は「冨松塾」での研修が必須となっており、当支部のHPの品質の高位平準化に寄与されています。HP役員の実績も20年を越えています。
 標題の「気がつけばパソコンの伝道師に!」は櫻田の提案ですが、お身体に留意していつまでも「伝道師」として活躍を願う次第です。(夢中人HP担当 櫻田)

記事編集:冨松、櫻田 HP作成:冨松

 

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