歴史探訪「旧海軍鶉野(うずらの)飛行場跡」

2024年1月30日 福本 照道(10班)

「鶉野飛行場跡」周辺の案内板

 旅行会社から送られてくるパンフレットの中に「旧海軍鶉野(うずらの)飛行場跡の見学」いう歴史に親しむ貴重なツアーがありましたので見聞を広めるため、このツアーに参加しました。
 梅田からツアーバスに乗り、兵庫県加西市へ。JR加古川線と結ばれるローカル線
北条鉄道の「法華口駅」付近で下車しました。ここから先は多くの戦争遺跡と共に鶉野飛行場跡や記念碑、展示施設が展開しています。
 まずは「爆弾庫跡」を見学、ここには砲弾、爆弾、戦闘機の機銃弾が貯蔵されていたそうで、コンクリート壁の厚みは1mあり、1トン爆弾に耐える構造になっているそうです。少し先に進むと「対空機銃座跡」と「巨大防空壕跡」がありました。対空機銃座は飛来する敵機を迎撃するための機銃座で、25mm連装機銃(230発/分、飛距離5,000m)が据付けられていたそうです。巨大防空壕は基地内最大のコンクリート製防空壕で、自力発電施設として使用され、熱や騒音などの環境に配慮した構造となっており、外見上は土を盛って小山のようにカモフラージュされていました。


 巨大防空壕跡からさらに先に進むと、いよいよ「鶉野飛行場跡」が見えてきました。この飛行場はパイロット養成を目的に
昭和18年に完成した旧海軍の飛行場で、姫路海軍航空隊が開隊され、飛行機の操縦訓練を実施、また、滑走路の南西にあった川西航空機姫路製作所鶉野工場で組み立てられた局地戦闘機「紫電」、「紫電改」(太平洋戦争末期に大活躍した)の飛行テストが行われていたということです。現在、滑走路は長さ1,200m、幅45mで、ほぼ当時のまま残っています。また、滑走路に沿って散策道が設けられていますが、私は体験のために敢えて実際の滑走路跡を歩きました。戦後75年以上経っているとは思えないほど整備されており、小石や草が散在しているとはいえ、時空を超えて歩くことができ、感慨深いものがありました。


 飛行場の終端には「平和記念の碑」があり、特攻や飛行訓練で亡くなられた方を偲び、日本の平和が永く続くことを祈念しています。
また、鶉野飛行場に関する資料や、局地戦闘機「紫電改」の原寸大模型などが展示されている「加西市地域活性化拠点施設(soraかさい)」があり、観光・イベントの案内などにより地域の活性化が図られていました。


 今回、歴史的見聞を広めるためにこのツアーに参加し、戦争遺跡の実態を把握することができました。よい機会であったと思います。このような遺跡を見学してどう感じるかは人それぞれであると思いますが、何か
今後の行動につなげていく源泉になれば(いわゆる「温故知新」)有意義なことであると思います。

2024年1月30日 HP作成:福本 照道

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