自転車 奥の細道(その2)【岩﨑 和隆さん】

12班 岩﨑 和隆 さん

 みちのくのなさけにふれてやがて梅雨(和隆)

(写真1)最上川の川下り乗船の地/本合海にて芭蕉と曾良

(写真1)最上川の川下り乗船の地
/本合海にて芭蕉と曾良

 前報は東京深川から白河の関までを報告しました。今回はその先、奥羽地方を回り、梅雨が始まろうとしていた新潟までを報告します。旅の報告は順不同になっていますので、時間経過が前後しています。

(1)鶴岡:うれしいことがあった街

鶴岡市の内川堤防にて

(写真4)鶴岡市の内川堤防にて

 27日目(6/9)、本日は鶴岡市まで走ります。市内に入り、庄内藩の鶴ヶ岡城跡公園に到着。市内案内板に「即身仏」が南岳寺にあり、見学、参拝することができるとあります。実際の「即身仏」は非常に小さく、縦50~60センチで、表面はピカピカして光っているように見えました。少し神妙な気持ちになりました。この後、芭蕉の門人長山重行の屋敷跡に向かう途中で、大変うれしいことが起こりました。なんとなく御利益なのかと思います?

 タイヤに空気を入れたいと市内に入ってから自転車店を探していました。すると、目の前にロードバイクを店頭展示している大滝輪店が現れました。「空気入れを貸して」と申し出ると、そこの若旦那が私の自転車にすごい関心を示します。そこに彼のお父さん大瀧さんも加わり、「どんな自転車?どこまで旅するの?」など自転車話で盛り上がります。そこへ、奥様が「どうぞ、一息いれて」と冷えたスポーツ飲料、新鮮なサクランボ、まんじゅうを持って来られ、喉とお腹の要求からおいしくいただきました。そして、出発時にはスポーツゼリーなどの食料を持って行くようにと手渡してくれます。旅先でこんなうれしい接待を受けたのは「四国お遍路自転車旅」以来です。ほんとうに、大瀧様ありがとうございました。明日はいよいよ日本海を見ることができます(写真4、いよいよ日本海まで16㎞あと少しです)。

 芭蕉は各地の門人達や同好の士を頼って旅を続けたのですが、私も各地に自転車仲間がおればと羨ましくなりました。

(2)仙台:忙しくすぎた街

(写真5) 正宗騎馬像

(写真5) 正宗騎馬像

 13日目(5/26)、今日は仙台に入ります。まずホテルに荷物を預けて市内観光です。どうもGoogle Mapの読取りが下手で、芭蕉の辻で迷う。あの青葉城と伊達さんの騎馬像もどこから入場していいのか、Mapではちんぷんかんぷんです。しかし、ガイドさんの協力で直ぐに目的地、あの有名な騎馬像(写真5)に到着です。流石に観光客に人気で、撮影に引っ張りだこ状態です。早々にその場を退散して、別の像へ移動します。

(写真6) 正宗胸像

(写真6) 正宗胸像

 戦中の金属拠出で馬がない伊達さんの胸像(写真6)へ。こちらは観光客も少なく、その場にいた女子高生と互いに撮影しあいっこしました。

 次は榴岡天満宮、榴岡公園に行く。芭蕉の句碑を見る。芭蕉が歩いた原っぱの宮城野がこの近くなので行ってみたが、そこは楽天イーグルスのホームグランドになり、うっそうと萩が茂っていた原っぱを芭蕉が馬上で横切る姿を想像できませんでした。

 このあとホテルに帰り、お土産の「笹蒲鉾」を宅配手配して、今日は終わりました。

北の杜あわただしさに立夏すぎ(和隆)

 

(3)平泉中尊寺:どことなく寂寥を感じた

        夏草や 兵共が 夢の跡 (芭蕉)

写真7 高舘から

(写真7) 高舘から

 旧暦5月13日(新6/29)に平泉に到着した芭蕉は、まず義経の居館があった高舘に向かい、この風景(写真7)を見て、奥州藤原氏の栄華やこの地で討ち死にした義経を思い、この有名な句を詠んだそうです。

 自転車旅17日目(5/30)、いよいよ平泉です。前日の登米市を午前7時に出て北上川沿いからR342を走り金華山神社・公園(写真8)を越え、旧道に入って花泉駅を通過して宿場町金沢を通ります。更に山道の旧道を上り下りして、11時前に一ノ関駅、ホテルに到着した。今日の目的地、中尊寺はここから10㎞あるので、ホテルに荷物をおろして中尊寺に向かいました。

 ちょうど12時に毛越寺に到着し、境内を見て回る。芭蕉真筆を模した句碑(写真9)を発見。前出の有名な句ですが、とてもじゃないが読み取れませんでした。

 次はいよいよ中尊寺金色堂です。覆い堂(1965年建立、写真10)の中に、燦然と輝く金色堂がありました。写真撮影禁止です。金色と言えば秀吉の黄金の茶室を思い浮かべますが、規模が全然違います。阿弥陀如来を中心に両脇に多数の菩薩像があり、全ての仏像が金色に輝き、また堂内部は金箔が張られて金色で、かつ螺鈿細工や象牙、宝石で飾られていました。日光陽明門は見学できなかったが、金色堂で大満足です。

 次に見学したのが高舘です(最初に掲載した写真7の場所です)。正面に北上川と東稲山の田園風景が広がるのどかな風景です。そんな中に、ここには義経の木造を安置した「義経堂(写真11、12)」と「義経公供養塔(写真13)」があります。金色堂との大きな落差に、さびしさを感じます。芭蕉がここを訪問したのが6/29、私は5/30ですからほぼ芭蕉と同じ風景を今見ていると思うと、芭蕉の句がしみてきます。

 ここで義経といえば当然武蔵坊弁慶です。弁慶の墓は中尊寺入り口の月見坂にありました(写真14、15)。写真の右奥二つ並んだ石塔の左側「一石宝塔」が墓になります。こちらもなんだかさびしい気持ちにさせます。

 

(4)尾花沢と立石寺:こわかった、しんどかった

 23日目(6/5)、今日は芭蕉が尿前(しとまえ)の関(写真16)から「出羽街道中山越(写真17)」で封人の家(写真18、19)まで歩いた行程を、鳴子温泉からR47で鳴子峡(写真20)を通過して封人の家まで走ります。鳴子峡はなかなかの渓谷美です。

 封人の家は、

蚤虱 馬の尿する 枕もと(のみしらみ うまのしとする まくらもと)(芭蕉)

と歌われた国境の役人の家です。当時の農家のつくりですね。ここには直ぐそばに分水嶺があり、やっと山を越えて日本海へ走れるんだと、うれしくなりました(写真21,22)。

 次は山刀伐峠(なたぎりとうげ)です。前日地元警察に問合せたところ「今年はまだ熊出没の情報はないが、おそれがあるので、峠にいかないで」と言われたので、素直に峠入口横のトンネルを通過して尾花沢へ向かいます(写真23~26)。市内で養泉寺と芭蕉清風歴史資料館を見て、半分へとへとで宿に到着。ずうっと上りが連続したしんどい一日でしたが、熊とも遭遇せず、やっと終わりました。

 

 24日目(6/6)、今日は宿に連泊して

閑さや 巌にしみ入る 蝉の声(芭蕉)

(写真27) 山寺開山堂と小さな納経堂

(写真27) 山寺開山堂と小さな納経堂

の山寺/立石寺を参拝します。宿から往復80㎞を走って、山寺を上り下りするキツい一日になります。その無理がよくなかったかようです。山寺に到着して、奥の院まで一気に1015段をあがって下る、その下り階段でトラブル発生。途中の山門を通過すると、外人観光客が下で写真を撮ろうとしていました。私が現れたので撮影中断しました。それで私が「階段下におります」と伝えて、階段を斜め横に動いた。ところが、足がもつれて倒れそうになります。一瞬、転倒して転げ落ちると覚悟しました。しかし、何とかバランスを戻して、階段の手すりをつかみました。危なかった。助かった。参拝のご利益でしょうか(写真27)。

(写真28) 出羽三山神社の階段

(写真28) 出羽三山神社の階段

 その場でしばし休憩しました。朝から急いで走ってきたので、足が疲れているのでしょう。アミノ酸飲料を飲んで、一息ついてから今度はゆっくりとおりました(※)。

 宿までの帰路、道端でサクランボを安く売っていました。留守番の嫁さんの好物なので、宅配便で送ることにしました。

 ※)山寺の階段は1015段でしたが,今回の旅ではこれを上回る階段があります。旅報告しませんが、出羽三山神社ではふもとから一・二・三の坂を通り山頂まで、合計2446段(写真28)あります。もちろん、この経験から無理はしませんでした。

 

(5)象潟(きさかた):よくここまで、きたもんだ

(写真29) R7新潟から185㎞

(写真29) R7新潟から185㎞

 29日目(6/11)、今日は頑張って、今回の北端になる象潟まで走ります。秋田県に入り、にかほ市に来ました(写真29)。こんなに北の日本海を見たのは初めてです。海に近づくと磯の香りがしました(写真30)。

 象潟は芭蕉が旅した当時は宮城の松島と同じで、海の入り江に島々が転々とありました。しかし、その後の大地震により隆起して、様々な小丘となっています。芭蕉が小舟で訪れた、能因法師が隠棲した「能因島(写真31)」も小さい丘になっていました。九十九島と言われた絶景は消失し、ただ水田が広がる現在の光景を眺めながら、

芭蕉が
「松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、・・・(松島は楽しげに笑っているようだし、象潟は深い憂愁に沈んでいるようなのだ)」
と評した当時のことを色々と想像するのもよろしいかと思いました(写真32)。

 ここでも大変うれしいことがありました。今回の自転車旅行では色んな宿に宿泊しましたが、ここ象潟の「シティホテルパレス」が最も寛げたホテルでした。ホテルは昔の旅館を今風ビジネスホテルに改装されていましたが、人情は改装されていませんでした。
 その女将さんの気遣いがうれしかったです。約束の朝食時間に現れないから寝坊ではないかと心配して部屋まで起こしに来る。朝食の食べた量が少なすぎるからと「おにぎり」を作って、出発時に「持って行って」と手渡してくれる。こんな女将さんの気遣いは、鶴岡の章でもそうでしたが、四国のお遍路宿の女将さん以来でした。本当に感謝しています。

 今回鳥海山はずっと雲に覆われて、残念ですがその頂上を見られませんでした。でも、すがすがしい気持ちで象潟を出発することができました(写真33)。

(*1)上は、芭蕉が旅した当時の象潟の風景。下は、現在の風景。入り江だったところは土地が隆起して水田に
(*2)象潟橋からの鳥海山をのぞむ。雲がかかり、頂上が見えません。

(6)新潟:一時中断、梅雨がちかい

 象潟の後は、酒田、鼠ヶ関(写真34)、笹川流れ(写真35)、村上などの日本海沿いの風景を楽しみながら走り、33日目(6/15)新潟に到着しました(写真36)。

 一気に奥の細道を完遂しようと意気込んで5/14出発しましたが、体力と天候を考えて、新潟で一時中断して、来年再挑戦することに決めました。

 

 ここまで読んでくださりありがとうございました。この後、新潟から大垣までの続きは、「その3」で報告いたします。

 

記事・写真:岩﨑 和隆、HP作成:宮元
以上


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コメント

    • 奥嶋寛司
    • 2025年 9月 01日

    神社の階段で、転んで、大丈夫でしたか?来年は富山・石川県・・・能登半島は行かれますか?また、楽しみですね。

    • 川﨑 喜久
    • 2025年 9月 05日

    遠い昔の自転車旅を懐かしく思い出しました。
    自転車旅の醍醐味はゆったりとした時間の流れと、身体に心地よい優しい
    風を感じる事だと思っています。
    私が自転車旅で強く感じていたのは、旅先で出逢う人達が本当に優しく接してくれる
    事でした。
    岩崎さんも、今回の旅で優しく接してくれる方々の出会いが有って
    良い想い出造りが出来たことと思います。
    私ももう一度自転車旅をしてみたいなぁと思いました。
    家内と楽しく読ませていただきました。
    次回も楽しみにしております。
    有り難うございました。

    • 岩崎 和隆
    • 2025年 9月 08日

    感想をいただき,ありがとうございます。
    本年は,この後新潟から岐阜県大垣までを走り切りました。
    その旅日記は,「その3」で報告する予定です。よろしくお願いします。,

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